若手ゲームクリエイターにスポットを当て、その“ホンネ”を聞くインタビュー企画「若手のホンネ」。第1回は、フリューの山中拓也氏にお話を伺った。
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いわゆる「AAAタイトル」をはじめ、数々の大作でにぎわうコンシューマーゲーム業界。その最前線で活躍するのは、コンピューターゲームの黎明期から活躍を続けている著名なクリエイターだ。そうした一方で「コンシューマーゲームで若い才能が頭角を現してこない」と、ひどく残念に感じるユーザーもいるかもしれない。
しかし、本当に若い才能は失われているのだろうか? 実際のところ、ゲーム雑誌のスペースには限りがあり、取り上げるとすれば実績のあるクリエイターに寄ってしまうのはやむを得ないだろう。ウェブ媒体にしても、発売するタイトルに絡んだ話題が中心となり、個人の考えを語るような機会はほとんど設けられていない。失われたのは若い才能ではなく、彼らにスポットが当たる機会ではないだろうか。
そこで我々は、ゲーム業界の未来の活躍が期待される若手クリエイターに注目し、さまざまな「ホンネ」を語っていただく特集企画をスタート。第1回ではフリューでPS Vita「Caligula -カリギュラ-」(以下、カリギュラ)を手掛けたプロデューサー/ディレクター・山中拓也氏にお話を伺った。
――まずは自己紹介からお願いいたします。
フリューでプロデューサー/ディレクターをやっています、山中と申します。直近のタイトルでは、PS Vita向けRPG「カリギュラ」の企画・原案・ディレクションを行っています。
――「カリギュラ」の企画・原案・ディレクションをご担当されたということですが、具体的にはどういう部分まで手掛けられたのでしょうか?
本当になんでもやりましたね。フリューの中の人員でいうと、僕と宣伝の人間が1人という、ごく小規模なチームで動いていました。スタッフとして明記されていない余白の部分は、ほぼ自分一人で泥臭くやっています。大きい会社さんであれば、企画資料などもデザイナーさんを交えて綺麗に仕上げていらっしゃるかと思うんですが、すべて自分で仕立てて作品化をもぎ取りました。
――ブログやTwitterの更新もご自身で行われているのでしょうか?
8割くらい僕の方で書いています。宣伝担当の文章は後ろに(宣伝担当)と入れて、今つぶやいているのが開発なのか宣伝なのかというのはユーザーの方にもわかるようにしています。あと、大川ぶくぶ先生に描いていただいている漫画「エクストリーム帰宅部」の写植なんかの細かい仕事も僕の方でやってたりしますね(笑)。
――本当になんでもやっていらっしゃると(笑)。運用はかなり自由な印象を受けますが、事前にルール付けなどはあったのでしょうか?
フリューという会社の話ですが、今までのタイトルだと「作り手の顔が見えない」部分があったと個人的には思うんです。どういう人が作っていて、どんなふうに魂が込められているのか、そうした部分が希薄になっている印象がありました。
「カリギュラ」の宣伝担当とは、最初に方針を決める作戦会議みたいなものをしました。人間の中身に触れたタイトルでもありますし、作っている人間がどういうものを考えているか、どういうこだわりをもって作っているか、「ここから出てくる情報には意味がある」とユーザーの皆さんに思っていただけるよう、丁寧に言葉を選んだ上でコミュニケーションを図りながらプロモーションをしていこうと。ふわっとしたルールではありますけれど、お互いに共通した「変えなければ」という意識があったと感じています。
――いちユーザーとしても、SNS上でのユーザーとの距離感の掴み方が非常にお上手だったように感じました。常日頃からツールを活用していた部分も大きかったのでしょうか?
そうかもしれないですね。僕らの世代は物心ついたときからゲームがあって、ファミコンからPS4までのゲームやメディアの変遷を見てきています。何より自分がそうしたエンタメのファンですから「こういう運営や作り手がいたら楽しいだろうな」という理想像があったのも大きいかもしれません。
一つ上の世代にお手本となる偉大なクリエイターさんがたくさんいらっしゃる世代なので、それを踏襲しつつ、ユーザーの皆さんと世代が近いことを活かして、親しみやすさも持ちたいと思っています。
――SNSの活用というと情報発信という面が強くなりがちですが、「カリギュラ」ではそうしたものと少し違った親しみやすさがありましたね。
作り手の顔が見えて、ゲームが面白かった時でも面白くなかった時でも「すべて山中の責任」だと思ってもらえるところがスタートだと思っています。
会社そのものにファンを付けるのは、それなりに歴史がないとなかなか難しいですよね。偉そうな言い方ですけど、まずは山中のファンなりアンチなりができるところから始めて、積み重ねていくことでフリューという会社のファンができていくのかなと思います。その第一歩が「フリューにはこういう人がいるんだよ」と知っていただくことですね。
シナリオ、デザイン、サウンドにさまざまな感性が取り入れられた「カリギュラ」
――「カリギュラ」には著名なクリエイターも多数参加していますが、どのようにお話を進められたのでしょうか?
シナリオの里見直さんは伝手があったので、そこからお願いしました。ボカロPの皆さんなどは会社としても全く接したことのないジャンルの方々ばかりでしたので、問い合わせ窓口からメールしましたね。サウンドの増子津可燦さんにはFacebookで直接メッセージを送りました。自分自身もオリジナルの作品を手掛けるのは初めてでしたし、断られてもいいからまずはお願いしてみようと。
――Facebookからコンタクトを取るというのは、今の時代らしさを感じますね。
発端から告知段階に至るまでSNSなしでは成り立たないタイトルでしたね。キャラクターを演じてくださった声優さんたちもSNSを使って積極的に告知してくれて、大変ありがたかったです。「カリギュラ」に関わってくれた声優さんは僕と世代が近い方も多かったこともあって、作品に対して腹を割って話しあうことができました。彼らが作品に愛着を持って、強い情熱で支えてくれた部分は大きかったですね。
――作品が完成するまでにさまざまなご苦労があったかと思いますが、とくに印象に残っているのはどのようなことでしょうか?
やはり若いと……言い方が悪いですが、若干なめられたりするんですよね。例えば現場でお会いした方が、自分より年上のアシスタントさんにまず挨拶されてしまうとか(笑)。ですがそれも、若いゆえの苦労というよりは、なんとか信頼を勝ち取ってやろうと燃える部分のほうが大きかったですね。
里見さんは僕が小学生の頃からの憧れの人でもありますし、自分の物語的な感性を形成するにあたって強く影響を受けた存在です。まさかそんな人と喫茶店でシナリオについてのバトルをするとは思いませんでした(笑)。「カリギュラ」は幼い頃の夢と対峙するところからスタートしたので、この先どれだけゲーム作りをするかはわかりませんが、ずっと覚えているだろうなと思います。
――シナリオについてバトルというのは、具体的にどういうやりとりをされたのでしょうか?
「伝えたいのはそこじゃなくて、こうなんです!」みたいなお話のコンセプトに関してもそうですが、とにかく色々なことを話しましたね。「カリギュラ」はお約束から逸脱した部分も多いですから、互いに温度感を確かめながらかなりの時間を打ち合わせに費やしました。
「もっと◯◯にしちゃいたいですよね」「燃えるかもしれないですけどやっちゃっていいですか」みたいなやりとりは数回した覚えがあります(笑)。里見さんは大ベテランで作風の懐も広いので、僕自身情熱のままに全力でぶつかることができたと思います。
――全力でぶつかっていきやすいというのは、若手の強みと言えるかもしれませんね。増子さんとはどのようなコミュニケーションを取ったのでしょうか?
増子さんは「お父さん」という感じで、僕やボカロPさんをはじめとした若者の無茶を受け入れてくださいました。ボカロPさんが作られた個性豊かな音楽を集約する、背骨のようなサウンドをお願いしていたんですが、どんな依頼も「できますよ~」と受け入れてくれて。若い世代のまとめ役というか、父親のようなあたたかい目で見守ってくれていました。
――ボカロPさんの楽曲は強烈な存在感を放っていますが、それでも増子さんのサウンドと上手くバランスが取れている印象を受けます。
増子さんのサウンドがゲームミュージックとしてしっかりしているからこそ、ボカロPさんの異質さが際立っていますよね。コントラストが強くなる分、ボーカル曲が流れたときに「これは異常なことが起きているんだな」という体験に繋がったと思います。
――ボカロPさんが作詞・作曲をされた数々の楽曲は、ゲームの内容にぴったりなものとなっていますが、こちらはどのようにオーダーされたのでしょうか?
まず「こうした詞を入れてくれ」という依頼は全くしていません。ボカロPさんには「ゲーム内に登場するキャラクターになりきって作ってもらう」というコンセプトでお願いしています。表の人格やメビウスで見える人格はこう、でも本当はこういう人物で、こうした経験があって、こんなトラウマを抱えてここに至る、というキャラクターのプロファイリングシートのようなものを、かなり気持ち悪い膨大なテキスト量で作って「この人間になりきって制作してください」とお願いしました。
戦う順番などもありますから、テンポや曲調の希望はある程度お伝えしたんですけど、それよりもボカロPさんたちの「当て感」とでもいうか……シナリオに対して音を当てる感覚というか……なんていったらいいんでしょうね。物語音楽に近い作りを得意とされている方が多くて、設定から曲を生み出すのがすごくお上手なんですよ。
それはきっと新しい感性を備えていらっしゃるからだと思うんですけど、わざとらしくもなく、メタ的にそのキャラクターを語りすぎるということもなく、でもプレイヤーには分かるという上手いところに落とし込んでくれたと思います。リテイクもほとんどありませんでした。
――PVなどでゲームをプレイする前にも耳にしましたが、プレイ後に各キャラクターの本性を知ったあとでじっくり聞くと「なるほど!」と思える絶妙な落としどころだったと思います。
その人を説明するために作られたわざとらしい曲じゃダメだと思ったんです。「楽曲として成立する」ことを一番重要視して、それこそ「ニコニコ動画」でも受け入れられるような曲で、キャラクターのことを知れば、より人となりが分かるようにしたかったんです。その意図はすぐに理解してくださいました。ボカロPの皆さんも同世代が多くて、同じものを見て育っていますから、そうしたフィーリングは合っていたんじゃないでしょうか。
僕は音楽に対して素人ですし、フリューにもオリジナル楽曲を手掛けたことがある人はあまりいなかったんですけど、手前味噌ながらこんなに良い曲がたくさんできあがりました。今となっては曲から「カリギュラ」を知ってもらうような手法も、もっとやりようがあったかと思うんですけど、新しいゲームの告知の仕方になったのかなと思います。
――ゲームの音楽は、特定のシーンやシチュエーションに向けて制作されることが多いかと思いますので、「登場するキャラクターになりきって」というのはなかなか新しい発想ですね。
ゲームやアニメのミュージックでは、今起きていることを歌詞で語る曲が多いと思うんですけど、そういった直接的な描写はせず、作品にいるキャラクターが作詞者として存在することで「語る」ではなく「にじみ出てしまう」ことを目指しました。全ての曲を聞くことで、複合的に「カリギュラ」の世界が照らし出される作りにしたかったんです。
戦いの中で流れる曲の歌詞を聞くと、それぞれのキャラクターがプレイヤーに近い悩みを持っていることが分かります。でもシナリオ上では彼らを倒さないといけない。そうした複雑な想いを抱えてほしかったという狙いもありますね。
――おぐちさんの手掛けたキャラクターデザインには、どのような意図が込められているのでしょうか?
「カリギュラ」に関しては「わざとらしくない」ものを目指しました。明るい性格だから明るい髪の色とか、キャラクターを描写するために作られた小道具とかがあまり好きではなくて。本来現実では、こう思われたい、こう見せたいと思って服飾を選ぶと思うんです。そうしたキャラクターの言動や内面から生み出されていくデザインが好きで、おぐちさんもそういう意図に乗ってくださいました。誠実なキャラクターデザインができたかなと思っています。
ただ、これはキャラクターデザインのお手本に真っ向から反しているんですよ。色合いが似ていますし、μ(ミュウ)は白すぎますしね。でも「カリギュラ」に必要なのはキャッチーな架空のキャラクターを作るというより、どこかに存在するその人間について想像するという感じなんです。
そうした部分はメインの制作陣の中で拒否反応もなく共有できました。社内では不安の声も大きかったようですが、ブレずに最後までやり通せて良かったです。なんといいますか、そろそろゲームのデザインにも少年漫画より青年漫画の描写に近いものを取り入れるべきでは、というのを裏のテーマとして考えていました。
カウンセラー志望からゲーム業界、そしてオリジナルタイトルの制作へ
――山中さんはどのようなきっかけでゲーム業界を目指そうと思われたのでしょうか?
実はゲーム業界を目指そうと思ったのは、就職活動が終わるギリギリでして。元々はカウンセラーを目指して心理学を学んでいたんです。ただ、カウンセラーってドライにならないといけない部分があるんですよ。でも僕自身はすごくウェットで(笑)、これは「人、大好き!」っていう自分にはあまり向いてないなと。
元々ゲーム・アニメ・漫画で育ってきたので、だったらそうしたものに心理学を活かせないかと思いました。自分にとってゲームやアニメは「受け取る」ものだったので、その時点になるまで「作る」という発想は全く選択肢にありませんでしたね。
それから、大阪のゲーム開発会社に就職しました。その頃は企画書の書き方なんてどこを探しても見つからなくて、見よう見真似で作りました。今見るとものすごく恥ずかしい、さんざん講釈をたれた企画書を出しましたね。それで運よく採用していただきました。
――ちなみに、どんな企画書だったんですか?
ゲームに当然に存在する「セーブ」と「ロード」の概念みたいなものを物語で展開するというか……セーブとロードが主人公の能力……いや、ちょっとこれは本当に恥ずかしいですね(苦笑)。その頃はWord十数枚にテキストをびっしり書きまして、それの何が良かったのかは未だによく分かりませんが、うまく滑り込むことができました。
プランナーって狭き門なんですよ。ゲームの専門学校に行っていた方から伺うと、プランニングの専門として入った中でプランナーとして雇われるのは本当に数が少ないそうで。そうした市場で採用してもらえたのは運の要素も大きいですね。
そこでは海外向けのゲームを作っていまして、当時のハイエンド機だったPS3とXbox360で面白いことをするためなら金銭的な制限はかけないという大型のタイトルでプランニングの仕事をさせていただきました。ゲーム作りで大事なことはすべてここで教わったと思っています。ただ、次第にパチンコやスマートフォンの仕事も回ってくるようになって、自分のやりたいことを見つめなおした結果、コンシューマーゲームにいたい、自分が昔やっていたゲームに近いものを作りたいなという想いがあったので、フリューに来ました。
――フリューさんに入社してからは、どのような経緯で「カリギュラ」の制作に至ったのでしょうか?
フリューではIPもの、版権もののゲーム化が80~90%を占めています。そうした中でゲーム作りの根幹を鍛えながら、年に1本はオリジナルタイトルを作るという方針を取っています。僕自身も入ってから1年ちょっとは「To LOVEる-とらぶる- ダークネス トゥループリンセス」のディレクターなどで内外の実績や信頼を積み重ねていき、それからオリジナルのお鉢が回ってきたという感じです。もちろんゲームプランナーとして企画は常にため込んでいたので、今のフリューという会社の立ち位置、自分のポジションやできることを考え、今打ち出すべき企画だろうと思ったのが「カリギュラ」でした。
自由な場で、かつての「時代の匂い」が残るタイトルを
――子供の頃から当たり前のようにゲームがあり、たくさんのタイトルが世の中に登場していた時代を過ごされた中で、とくに思い出に残っている作品はなんでしょうか?
本当にたくさんありますが、コーエーさん(現コーエーテクモゲームス)から発売された「ジルオール」というRPGです。どこが面白いのか語っていくとかなり長くなってしまうんですが、僕が好きだったポイントは大きく2つあります。
1つは自分の働き次第で、影響力が大きくなっていくのを感じられるという部分です。中世ヨーロッパのような雰囲気の中で、主人公として自由に行動できるんですけど、最初はただ森で起きているいざこざを解決する程度だったのが、やがてその世界の年表に載るような出来事に関わっていくようになるんです。
それが続いていき、どんどん歴史の表舞台に出ていく感覚がすごく新鮮でした。偉くなれば世界の年表に載る伝説の英雄とも戦えて、自分の行動が世界に及ぼす影響をイメージしやすかったのが特に楽しかったです。自分がいなくてもその世界の年表は変わらず進んでいくので「今回はどんなふうに歴史に名を残そうか」と何度も繰り返しプレイしました。直接関係あるのかは分かりませんが、歴史ゲームを作られてきたコーエーさんならではの雰囲気なのかなと感じましたね。
もう1つは、登場人物の多さです。例えば、ある城に光の王女様がいて、普通にプレイをしていたらその人と仲良くなり、彼女の勢力が増していくというイベントに関わります。でも実は地下には幽閉されている闇の王女様がいて、彼女に与すると逆に光の王女様が没落していくんです。
この世界にはいろんな人がいて、光の王女様に与すると闇の王女様を一生地下に幽閉することになり、闇の王女様に与すると今まで仲良くしていた光の王女様が没落していくことになる。周回プレイをする中で、自分が救った人間以上に、その周回では描かれていないけれど救わなかった人間がいるのというのがわかっちゃうんですよね。良いことのはずなのに、すごく後味の悪いものが残るというか、そうした人を救わない選択も間接的にさせている部分にゾクゾクきました。
こうしたゲームがたくさん出ていたのはプレイステーションが登場した頃で、この時代がとても好きです。「東京魔人学園」シリーズや「サモンナイト」「九龍妖魔學園紀」など、各社が限られた予算の中で企画を練って、一風変わったゲームがたくさん出ていた時代がまた来ればいいなと思います。
――とくに1990年~2000年代は、今なお愛され続けるタイトルがたくさん生まれましたね。現在はスマートフォン向けゲームの台頭、コンシューマではお金や時間をかけた「AAAタイトル」への期待の高まりなど、状況は大きく変化しました。一人の若手の視点として、これからのゲーム業界にはどうあってほしいと思いますか?
スマホの射幸心などの形式に勝つために、大きなタイトルでしかコンシューマである意味を生み出せない状態になっているように感じます。それが結果として「若手で目立った人がいない」みたいな印象に繋がっているのかもしれませんが、予算も時間もかける大きなタイトルを任せるなら、すでに実績がある偉大な方にお任せするのは当然だと思います。
その流れは変わらないと思いますが、個人的にはゲームがハイエンドになっていけばなっていくほど「作られなくなっていく作品」というのは絶対に存在すると思います。昔の名作でも「じゃあこれをあえてハイエンドで作る意味ってあるの?」という作品は存在するじゃないですか。大きなタイトルであればあるほど失敗できないですし、せっかくハイエンドで作るならオープンワールドのような世界で、押さえないといけないメジャーな要素も取り入れて……となる一方で、切り捨てられていくというか、ニッチなシステムやタイトルは消えていく傾向にあると思います。
フリュー自体まだまだ新規参入ですし、超大作を手がけられるような体制は整っていないですが、この業界で存在感を出していける方法があるとすれば、そうした時代の匂いの残るタイトルを出していくことかなと思います。「この会社はゲーム業界がどうなってもちゃんと尖ったタイトルを出してくれる」という評価がされれば、今のゲーム業界とうまくやっていく方法の一つになるのではないでしょうか。自分の作品も、そういうふうに感じてもらえるような匂いをいつまでも残していければと思います。「カリギュラ」も結構「懐かしい」とか「電撃PlayStationみたい」って言われますね(笑)。
――「電撃PlayStation」といえば、昔から万人受けではないけれど、すごく面白い作品だぞというものをよく特集されていますよね。こうした、まさに「あの時代の匂い」が残るタイトルというものを求めているユーザーも非常に多いと思います。
「カリギュラ」という作品を褒めてくださる方の中にも、僕が好きだった「高機動幻想ガンパレード・マーチ」とか「九龍妖魔學園紀」といったタイトルが好きという方がいてくださるんです。そうした匂いを感じていただけたのはすごく嬉しいですね。ゲームライターさんをはじめ「カリギュラ」を褒めてくださる方の趣向を見ていても「ああ、そうだよね」という、同じような感性を持つ人に刺さっていたのは自分の中で誇れることかなと思います。
――まさに私自身もそうしたタイトルを好んで遊んでいましたので、「カリギュラ」は山中さんと同じような感性をお持ちの方に刺さる作品になったと思います。これからもぜひフリューさんにそんなタイトルを作ってほしいという期待に繋がったのではないでしょうか。
フリュー自体もまだ歴史が浅いですし、固定観念がない分、企画者自身の考えや色が如実に出る傾向がありますね。次は一体どんなタイトルが出てくるのかというのが予測しにくいオモチャ箱感も魅力と言えるかなと。どんどんファンを獲得していって、面白い会社だと評価されていけるようになればいいなと思っています。
――ここ数年は「ロストディメンション」や「レジェンド オブ レガシー」など、尖った面白さを目指した作品がどんどん生まれてきているように感じます。
それが積み重なって、注目される会社になると嬉しいですね。そのためにも長い時間をかけてゲームファンの方々と信頼関係を築いていく必要があると感じますね。
――山中さんご自身が今後作ってみたい作品や、やりたいことはありますか?
新品のゲームをほいほい買ってもらえるような環境ではありませんでしたが、僕らの時代は色々なタイトルがあって、いろんなモチーフのゲームに触れてきましたし、その量は同世代の中でも飛びぬけて多いほうだと思います。さまざまな経験を活かして「次はこんなの出してきたんだ!?」と毎回驚いてもらえるような、幅広いジャンルに挑戦していきたいです。僕は「ときめきメモリアル Girl's Side」とか女性向けゲームもすごく好きで嗜むタイプの男性なので(笑)、その雑食性を活かしていきたいですね。
「どんなユーザーに受け入れられるのか」「どういう人が作っているのか」を意識
――では、これからゲーム業界を目指したいと思う方へ、若手の立場としてアドバイスをぜひお願いします。
僕たちの一つ上の世代の方々にお食事に誘っていただく機会があるんですけれど、とにかくキャラクターが濃いんですよ。「これは若い人たちは出てこれないな」って思っちゃうくらいで。偉そうなことを言って本当に申し訳ないのですが、その人たちの現役の時代がまだこれから10年20年と続きますから、相当変わったことをするとか、どういうユーザーに受け入られるのか、どんなユーザーをお客さんにしていくのかよく考えた企画や指向性の高いモノづくりをしていかないと、誰の目にも止まらず終わってしまうんじゃないでしょうか。それが、今よく言われる「若い子が全然出てこない」みたいな話に繋がってしまうと思うんです。
一人で何でも作れてしまう時代なので、純粋に企画者を目指すハードルはかなり高いと思います。自分もまだ成功した部類に入っていないので、偉そうなこと言うのは恐縮なのですが、お客さんの顔を一人ひとり想像して、一人でも二人でも自分のファンを付けるというのを意識した作品づくりをしていくところからスタートかなと思います。僕自身もまだまだ気を付けているところです。
――私たちが子供のころから遊んでいるゲームを作られた方が、まだまだ現役というのが今のゲーム業界ですよね。「誰に届けたいのか」というのは、本当に強く意識しないといけない部分のように感じます。
コンシューマーゲームの場合、決して安くないお金を出しますよね。クリエイターが目立つことだけがゲームではないと思いますけど、今の時代は「この人が作るなら自分には合うだろう」とか「あの人の作るものなら、どんな形でもきっと自分に受け入れられるだろう」という信頼の構築が重要になっていくんだと思います。
極力顔が見えるようにして、面白かったなら僕との感性があった、面白くなかったら僕とは合わなかったと。ユーザーさん自身に、自分には何が合っていて、何が合ってないという判断の基準が産まれていけば、ゲームを買う/買わない、予約する/しないという判断が明確になると思います。
――システムとの相性はゲームを買ってきちんと遊ぶまでは判断できませんが、ゲームをプレイしたあとに浸る空気感のようなものは、作られた人たちによってある程度想像できると思います。実際、そうした部分に期待して買うファンも多いですよね。
「このゲームは面白くなかった」と感じた際、誰が責任を持っているのか分からないと、どこかぼんやりした感覚になってしまうと思うんです。山中が良かった/良くなかったと判断をしてもらえると、僕にとってもユーザーさんにとっても注目する/しないなどが明確になり、自分にあったゲームをプレイしてもらえる機会が増えることになると思います。そういった形になるのがいいのではないでしょうか。
ゲームの好き/嫌いの基準のようなものが、もっと増えたらいいですね。RPGとかシミュレーションといってもまだまだ広くて絞りきれないため、スマートフォンも含め無限に選択肢がある中で、触れるかどうかの判断基準に「どういう人が作っているか」が含まれてくるのかなと思います。「この人が作ってるなら自分の口に合うに違いない!」といった感じで。
――私たちとしても、ユーザーの皆さんにさまざまな判断をしていただけるように開発者の方々へお話を伺っていけたらと思います。
いちゲームファンとして楽しみにしています! フリューでもこれから僕以外にもさまざまな開発者の作品が出てくるはずなので、注目していただけるとうれしいですね。既に発表されている「アライアンス・アライブ」などもかなり熱量のこもった作品になってますので、ぜひぜひ。僕自身もこちらの企画にまた呼んでもらえるくらいに頑張ります!
――ありがとうございました。
※メーカー発表情報を基に掲載しています。掲載画像には、開発中のものが含まれている場合があります。
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