中国ゲームメディアUCGによる連載企画。本誌で掲載されたコラムの翻訳版「Master Love(麻辣)中国における二次元ゲームの“タンタロス神話”」第3回では、ハーレム構造を過剰に求めるユーザーたちとメーカーの反応について紹介しよう。

前回紹介した「ブルーアーカイブ」を取り巻く一連の論争は、中国のACGN(アニメ・コミック・ゲーム・ノベル)愛好者が従来使ってきた語彙や価値観が、もはや現状に適応しなくなっていることを如実に示している。
一部のACGN愛好者は、“終末時計(Doomsday Clock)”を借用してMaster Loveを巡る騒動を説明しようとした。彼らの仮説では、ライトノベルが“美少女との関係性”を段階的にエスカレートさせていくと読者の“性的欲求”もエスカレートし、結果として作品側もより直接的な構図を採らざるを得なくなるという。この理論の一部は二次元ゲームにも当てはまるが、ライトノベルとは違いゲームは制作コストが高く、エスカレートする速度は緩やかなものになる。
Master Loveプレイヤーが求める「すべてのキャラが女性でプレイヤーに恋愛感情を持っているオープンワールド二次元ゲーム」は、制作コストと想定ユーザーの規模が釣り合わない存在といえる。そして、現時点で最もその理想に近いゲームは、皮肉にも依然として「原神」である。
だがある意味において、二次元ゲームの“終末時計”はすでに鳴り始めているのかもしれない。一部のプレイヤーは“騒げば取り分が増える”という格言の通りに動き出した。ネットで騒ぎ、影響力を持ち、“Master Love を求めていない層”を牽制すれば、運営中のゲームを“自分専用の感情価値補給装置”へと変えられるのではないか、と。この瞬間から、「Master Love(麻辣)」というインターネット運動は明確な方針を得たのである。
かつて「アークナイツ」が掲げたスローガン「ハードコアで“オタク迎合”ではない」はすでに死語となり、より多くの人々が当時のような“自粛状態”の解除を求めるようになった。
「媚び」があれば良い二次元ゲームなのか
“有男不玩(男キャラがいれば遊ばない)”という運動の余波は、さらに多くのタイトルへ波及した。「千年の旅(千旅)」「ストリノヴァ」「アッシュエコーズ-白荊回廊-」「リバース:1999」など、数え上げればきりがない。なかには議論を乗り越え、現在では“成功例”として扱われる作品もある。しかし、否応なく直視すべき現実もある。
開発規模が小さければ小さいほど、論争に耐えられず選択肢も少ない。では、ゲームメーカーは市場に存在する Master Love 的需要に迎合すべきなのか?


実際、ある種の開発企業は“賭け”に出ることを選んだ。その典型がキャラの露出度が非常に高く、“ストッキング配布”で話題になった「交錯戦線 CROSS CORE(ダイブロス・コア)」 である。
本作はMaster Loveの影響を強く受けた作品の代表であり、極めて直接的な性的表現を前面に押し出した。結果として通報を受けて一時的にストアから消えた。また、興味深い現象として、いくつかの作品ではコミュニティ内部で特定プレイヤー層を排除しようとする動きが見られるようになった。

AISNO Gamesが開発・運営する「無期迷途」は女性キャラが多い作品だが、「同社とPapergamesは出資関係にあり、『無期迷途』はPapergamesが男性向け市場を開拓するための試験作だ」という噂がネットで広まり、男性・女性ユーザーの対立を深めるようなコメントが広がった。
反対にWeiboなどのSNSでは女性ユーザーの声が大きくなり、やがて「男性ユーザーをゲームから追い出せ」という激しい声すら現れた。この状況から、「無期迷途」も他作品と同様に「Master Loveを餌に男性を釣るゲーム」という過激な揶揄まで飛び出すことになった。実際、運営初期の「無期迷途」は露骨に“オタク迎合”を意識した広告を打ち、男性ユーザーの獲得を狙っていた。
Master Love をめぐる激しい論戦の合間には、もう一つ特筆すべきエピソードがある。
Dreality Entertainmentの「シンギュラリティ×ラブストーリー」は、“男性向け恋愛”を全面に押し出した二次元ゲームで、“男乙(=男性版乙女ゲーム)”という言葉まで生み出した。もっとも、こうした作品は一般にギャルゲーと呼ばれるジャンルに属するが、ここでは深掘りしない。

奇妙なのは、「シンギュラリティ×ラブストーリー」の運営がなぜかmiHoYoを弄ることが良いマーケティング手段だと考えた点である。2024年のエイプリルフール直前、同作は「米和油(ミー・アンド・オイル)」という名のボス情報を公開した。そのビジュアルはmiHoYo各タイトルへの“直球の当てこすり”に満ち、スキル説明には「米工兵(miHoYoファン)」「きっと○○の仕業に違いない」「闇が降臨する」など、界隈のネットスラングがこれでもかと詰め込まれていた。
ここまで来ると、「シンギュラリティ×ラブストーリー」の“空気の読めなさ”は際立っていた。その後も同作は迷走を続け「プレイヤーに“本物のMaster Love”とは何かを教える」と宣言した。しかし、“男乙(男性版乙女)”という言葉に惹かれて集まった層が、明確な指向性を持ち、決して大多数に支持されているわけではない「Master Love」を好むとは考えにくい。これは極端なプレイヤー層に媚びて、一時的な話題を得ようとしたと見るほかない。最終的に「シンギュラリティ×ラブストーリー」は大いに目立ちはしたものの、実利を得たとは言いがたい。

これらのゲームの問題は「媚宅(オタク迎合)が足りない」ことなのだろうか?
恐らく違う。より本質的な問題は、これらの“方向性の模索”がMasterLoveを求めるプレイヤーの本当の欲望に命中していない点にある。
ご存じのとおり、成人向けコンテンツの供給はインターネットの誕生とほぼ同時に始まり、今日ではすでに“ポスト欠乏時代”に入っている。「存在するあらゆるものには、必ず対応する成人向けコンテンツがある」という“Rule34”(※)は、まさにこの状況を説明している。しかし、直接的な成人描写だけでは人々の官能的欲求を満たせない。アメリカの哲学者マルクーゼの言うように、人が求めているのは “愛欲の充足” だからだ。
※Rule34:海外の大手ネット掲示板4chanの有志がまとめた「インターネットの法則(Rules of the Internet)」の中のひとつであり、該当番号のこれは「If it exists there IS porn of it(それが存在するなら、それのポルノも存在する。)」という内容である。
重要なのは、この“愛欲の充足”をどう得るかだ。中国本土では成人向けコンテンツは法的に厳しく制限される。かつてインターネット規制がまだ徹底していなかった頃は、少し工夫すればだれでも刺激的なコンテンツに簡単にアクセスできた。これは新世代の中国語圏ユーザーからすると想像しがたい状況であり、当時を知るものから「現代の若者は情報検索能力が低下しているのではないか?」という質問がZhihuに投稿されるほどである。
時が経つにつれ、中国本土のインターネットはますます“清朗化(ネット環境の規制強化や整備を進める政策)”し、そうしたコンテンツを探すことは難しくなった。しかし、性欲は高圧バルブのようなもので、時折はガス抜きが必要になる。“硬い料理”がなくなれば、人々は“やわらかい料理”、すなわちソフトポルノ的コンテンツを探すようになる。ある意味、ソフトな性的表現は“啓蒙”的役割を果たしていると言える。新世代のスマホユーザーにとって、二次元ゲームは“性”に接触できる数少ない領域なのだ。
これは二次元ゲームが刺激を提供する理由を説明しているが、もう一つの疑問「なぜ Master Love、あるいは “ハーレム構造”が強い訴求となるのか?」については説明できていない。
Master Loveを求める大量の投稿を見続けると、「二次元の正統はMaster Loveなのでは?」という一種の錯覚が生じる。今日では「なぜここまで“ハーレム”が嫌われるの?」と不思議がるプレイヤーも現れ、「二次元とはハーレムであるべきだ」と真顔で言う者もいる。そして、シナリオが地雷を踏むと極端なプレイヤーは創作者への偏見をそのままゲームキャラへ投影し、攻撃へと転化する。
こうした疑問に対し、愛好者側が丁寧に答えることはほとんどないため、 “疑問を抱いたプレイヤー”たちは主流の言論空間に進出する。そして主流の言論空間では政治性が強まり、政治的視点が作品の議論を覆うようになる。
その結果、プレイヤーが個人の趣味嗜好の範囲を逸脱し、より政治的立場によって女性キャラを評価するようになっていった。
振り返れば、注意すべきだったのは前世代の愛好者とネット世論が、保守主義的思潮の回帰に備えていなかった点だ。むしろ意図的に無視してきたと言ってよい。二次元界隈では政治から距離を置こうとする姿勢「ゲームはゲーム、政治は政治」「ゲームで政治を語るな」という態度が圧倒的に主流だった。だが、この態度自体がすでに“政治的立場”なのである。
信頼と疑念の連鎖
中国の二次元産業が成熟するにつれ、初期の中国ACGN愛好者たちが築き上げた秩序は、より広い言論空間からの批判に晒されるようになった。保守主義が再び台頭する一方で、新世代のプレイヤーたちは自分たちの価値観に適応した新しいルールを形成していく。興味深いのは、これらの二次元ゲームのプレイヤーが“反抗する者”を自称しながら、実際には商業的な物語を全面的に受け入れている点である。
典型的なのが、二次元ゲームプレイヤーの議論において売上高・収益ランキング上位が、まるで英雄のように扱われるようになったことだ。対して下位のゲームについて「君の遊んでいるゲームは売上が低い、すぐに死ぬぞ」と言うのは無礼とされ、反感を買うことも多い。中国におけるほとんどの二次元ゲームは“継続運営型のネットゲーム”であり、実際に長期運営を続けることは非常に困難だ。

二次元ゲーム業界の競争は、他ジャンルと比べても格段に激しい。ゲームの寿命はさらに短く、2023年に版号(ライセンス認証)が再開された際には、空白期間の技術の発展についていけず競争力を失い、ゲーム会社がリリースすること自体を嫌がるゲームすら出現した。さらに厄介なのは、二次元ゲーム特有のストーリー・キャラクター性によってプレイヤーの執着が強くなり、サービス終了が極めてデリケートな問題になる点である。
カジュアルゲームが終了しても代替は簡単に見つかる。同様に、レース・FPS・シミュレーションのような継続型ゲームが終了しても、新天地を探すのは難しくない。しかし二次元ゲームは違う。
ゲームが死ぬと、ゲーム内のキャラクターも(多くの場合、永遠に)忘れられる。キャラクターに“Master Love的感情価値”を見出していたプレイヤーにとって、これは受け入れ難い。
こうした歪んだ関係は、ある種の“暗黙の了解”を生み、プレイヤーは見えない責任を背負わされる。課金しなければ、自分が強くなれないだけでなく「推しキャラが消えてしまう」からだ。その関係性は一部から 「畜産業」 と揶揄される。
そして他者との論争では、ゲームの売上を比較し合うのが常態化する。アニメ界の“覇権争い”よりも苛烈である。アニメBDは売れなければ続編が出ないだけで、作品価値そのものへの影響は限定的だ。しかしゲームの場合、「今月の売上がDouyinの売上額を超えた」ことがコミュニティの盛り上がりを証明し、プレイヤーは胸を張って誇らしげに語ることができる。
だが、これはゲームの長期運営に新たな課題を突きつける。信頼は大きいほど、一度壊れると元には戻らないのだ。
Googleが過去十数年でGoogle Reader、Hangouts、Inbox、Stadiaなど数百のサービスを終了させてきたため、「Googleのサービスは使う前に“データが消えないか”を考えるべきだ」という不信が生まれた。ゲーム運営も同じで、継続的なアップデートを切らさない努力が求められる。
ゲームが“消費財”として扱われるようになると、もはや総合芸術として語られなくなる。ゲームシステムは二の次となり、売上が高ければそれでいい。
ゲームコミュニティの活性化と管理はさらに難題であり、近年は「コミュニティマネージャー」がゲーム運営の標準となった。中国本土には二次元ゲームを議論できる場があまりにも多く、もはや二次元ゲームに“伝統的なゲームメディア”が必要なのか疑問視されるほどだ。もちろんメディアにも“アクセスを増やす、という最低限の価値はある。ある業界人は以前ChinaJoyの会場で「アクセスを導けないなら、もうゲームメディアとは言えない!」と直截に叫んだという。媒体が果たす役割は変化しているが、ビリビリは膨大な二次元ゲームユーザーと投稿者たちの存在にもかかわらず、そのコミュニティへの影響力は汎用的なSNSであるWeiboと比べて強いとは言えない。私的コミュニケーションではセンセントQQのグループチャットが主流だが、実際にはQQ以外にも無数の議論の場が存在し、百度貼吧や専門ゲームフォーラム、とりわけNGA(中国のゲームコミュニティーサイト)のスマホゲーム総合コミュニティではMasterLoveに関する膨大な資料が蓄積されている。
こうした環境では、運営がいかに慎重を期しても炎上の危険から逃れることは難しく、どんな小さな流れでもゲームを炎上へと導いてしまう。そのため運営はコミュニティ管理の力を借りざるを得なくなる。こうした要因が積み重なり、二次元ゲームとそのコミュニティは大きく“異化”してしまった。
コミュニティの信頼は崩壊し、タキトゥス・トラップ(※)に陥り、コミュニティマネージャーは“世論操作・商業利益の象徴”のように扱われる。そしてプレイヤーたちはゲームシナリオに作者のクレジットを要求し始めた。これは作者の権利保護のためではなく、自分が気に入らない文章を書いた“担当者”を特定して攻撃しやすくするためである。
※タキトゥス・トラップ :権力や組織への不信が強まると、その後の行動が善であれ悪であれ、すべて否定的に解釈されてしまう現象。
さらに、明文化された返金制度を要求する声まで現れた。あるプレイヤーは「ガチャに課金したのは“嫁(推し)”を家に迎えるためだ。もしアップデートでその“嫁”が嫁ではなくなり、他の男性キャラと関係があるように描かれるなら、離婚だけでは足りない。返金すべきだ」と主張する。しかしこれが実現不可能な要求であることは明白であり、世界のどこを探してもそのような制度は存在しない。ただし、この主張は一部プレイヤーがゲームにどれほど歪んだ情緒的価値を投影しているかを如実に示している。

コミュニティがあまりに混沌としているため、ついには「原神」のプレイヤーですら渦中に巻き込まれ、“切割”という奇妙な概念まで現れた。“切割”とはmiHoYoのゲームを“二次元カテゴリー”から除外し、「原神」は二次元ゲームではなく「原神という独立したジャンル」であると主張するものである。その起源は不明で、本当にmiHoYoファンが言い出したのかも怪しい。しかし荒唐無稽に見えるこの主張が、ファンへ瞬く間に受け入れられたのも事実だ。
「原神」が成功した後、多くの企業が「幻塔(Tower of Fantasy)」や「鳴潮(Wuthering Waves)」などの類似タイトルを開発したが、商業的にmiHoYoを脅かす作品は現れていない。理由は単純で、miHoYoの競争力があまりに強いからだ。
そのため、「miHoYoの作品は二次元ではない、より高品質で高次元な存在だ」という“切割論”は、同社のブランド価値を強化し、コミュニティの結束を促し、さらには「優れた二次元ゲームとは何か」を自らが定義できる構図を生み出した。もちろん「原神」の成功は品質と影響力に支えられた正当なものだが、その成功ゆえに “政治”が不可避的に作品へ侵入してくる。miHoYoや Hypergryphが上海に拠点を置き、より広い層に向けたタイトルを展開していることから、ネット上では彼らを“沪圈(上海界隈)”と呼び、対して北京系企業を“京圈”と呼ぶ風潮が形成された。昨今の中国社会言論で上海や香港など国際都市への批判が増えている状況を踏まえれば、こうした議論が二次元コミュニティに持ち込まれるのは自然な流れと言える。
そして、Master Love的ゲーム愛好者たちは、ついに“エデン”―自分たちの欲求が真正面から満たされる場―を見つける。これは多くの業界関係者にとっても予想外の展開だった。
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