2017年8月30日よりパシフィコ横浜にて開催中の「CEDEC 2017」。ここでは30日に行われた基調講演「「ソードアート・オンライン」仮想から現実へ。小説とゲーム技術のお話。~ソードアート・オンラインが現実になる日まで。~」をレポートする。
目次
このセッションは人気ライトノベル「ソードアート・オンライン」(以下「SAO」)の作者・川原礫氏が、「サマーレッスン」などを手がけたバンダイナムコエンターテインメントの原田勝弘氏、「SAO」のゲームシリーズのプロデュースに携わった同じくバンダイナムコエンターテインメントの二見鷹介氏と対談形式で講演するというもの。「SAO」がVR、AR、AIなどをモチーフに物語が展開することから、これらのゲーム技術をテーマに、さまざまなトークが行われた。
まずは対談の前ふりとして、小説「SAO」について簡単な紹介が行われた。作者の川原氏は1999年頃からMMORPGをプレイしまくっていたそうで、2001年から次世代ネットワークゲームという仮想空間を舞台にした本作の連載をWebにて開始。少年少女たちの仮想世界での活躍を描いた物語が人気を博し、一大ベストセラーとなった。
原田氏によると、2001年はネットワークゲームの名作がある程度出そろった頃で、こうした小説が出てくるのは「流れとしては自然」と思っていたそうだ。ただ、当時はまだMMORPGが一般的なものではなかったことも事実で、川原氏はMMORPGの説明をあえてせず、読者が「分かっている」ことを前提に本作を書いていたが、MMORPGの面白さやその中で起きる価値観などを小説内で示しても理解できる人は少なかったろうと原田氏は指摘。逆に、現在「SAO」が若い人の間で爆発的な人気を誇っているのは、今ではそうした概念が当たり前になっているからだろうと分析していた。
「SAO」のメディアミックスとしての成功や海外人気の高さについても言及された。原田氏は海外でVRについて講演した際、事例となる作品として映画「マトリックス」を挙げたのだが、大学生たちにはほとんど通じず、教授にたとえ話に最適な作品を聞いたところ「ソードアート」と言われたというエピソードを披露。本作が海外でも仮想空間を題材にした代表的な作品として、かなり浸透していることを紹介した。
現実とまったく同じになったらエンターテインメントではなくなる?
最初のテーマは「SAO」の小説視点でのゲーム表現について。川原氏は作中で繰り返し描いている、自分の肉体がアバターであるという感覚は「想像しても想像しきれない」と本音を吐露。例えば、ゲーム中で髪の毛にさわったとき、将来的にはそれっぽく動くようになるのかと原田氏に疑問を投げかけた。
原田氏は現在の技術ではまだ難しいことは認めつつ、「VRの課題は情報密度を上げることで、それはただ解像度を上げるだけではない」と回答。人間が注視したとき、あるいは触ったときに処理をミクロに行ってリアルに感じさせるという方法が使われるだろうと推測し、ゲームの世界ではそれに近いことをすでにやっているという。川原氏も同様のことを考えていて、作中でモノを近くで見たときだけ解像度を増す設定にしているとコメント。原田氏によると現実でも実はそうではないかという論理があって、「我々は現実世界の概念を先取りしているのかもしれない」と語っていた。
二見氏は「SAO」の「女の子の入浴シーン」が好きで、デジタルの仮想現実内でもお風呂に入りたがる、人間らしい生活をしたがるところが興味深いという。入浴時には髪もアップするほどの凝りようだが、一方で髪型はアイコンで選択するなど極めてゲーム的で、その表現方法の「リアルなのにリアルでない」ところに感心したそうだ。
川原氏としては当然サービスシーンという意味合いもあるが、書き手としての興味から書いている部分もあるという。そんな川原氏が「VR環境3大難しいもの」と作中で設定しているのが、髪の毛、液体、食べ物の3で、「VRのゲーム中で水を触って持ちあげて、手からこぼれるみたいなことは将来的に可能か」と原田氏に質問した。
原田氏は「どれだけ処理ができるかの問題なので、テクノロジーの進化によって解決されると業界の人間はみんな信じている」と回答。将来的にはそうしたこともできるようになるだろうし、映像表現が進化していくことはいいこととしつつ、「SAO」のように仮想世界が現実世界と区別できないものとなった場合、それはエンターテインメントたりえないのではないかと疑問を提示。
例えば、ジェットコースターやフリーフォールは、「これはエンターテインメントで、こういう体験が待っている」という予測と安全の確保があって成り立っていると原田氏は定義。だが、そうした意識がなく、実際の生活の中で突然体験させられたら気絶するほどの恐怖を覚えてしまうだろうという。いわば本人の思い方次第で体験が変わるわけで、VRでもどこか現実に片足を置いておく、どこかで「安全なところにいる」という意識がないと、それこそ「SAO」や「マトリックス」の世界になってしまうだろうと持論を述べた。
次のテーマは「SAO」のゲーム化について。企画が動き始めたのはアニメ化とほぼ同時で、川原氏はキリトが女の子たちと仲良くなっていくアドベンチャーゲームだと思っていたという。ところが、企画を見たらガチの内容でかなり驚いたそうだ。
「あの判断はどこからきたのか」という川原氏に、「ノリです」とボケる二見氏だったが、もともと「.hack(ドットハック)」(※)が好きで、「ゲーム内ゲームというか、疑似MMORPGみたいなテーマを持ったゲームは受け入れられるんじゃないか」と考えていたそうだ。
※ネットワークゲーム「The World」を舞台に巻き起こる事件を描いたメディアミックス作品で、アニメ、ゲーム、小説などで同時展開された。
もっとも、原田氏はゲーム化の話を聞いてオンラインかVRでやるのだと思ったそうで、そうではないと分かって「ソードアート・“オンライン”なのにオンラインじゃないの?」と思ってしまったと告白。実際、原田氏のように思ったユーザーは多かったようで、「ソードアート・オンライン・オフラインって呼ばれてましたね」と二見氏は自虐的に振り返った。ただ、冒頭でも原田氏が触れていた「SAO」と中高生の相性の良さは二見氏を強く感じているそうで、自身がネットワークに抵抗感が強かったこともあって「そういう時代になってきたんだなあ」と感慨深げだった。
川原氏は「ゲームをプレイしているキリトたちが主人公」のオフラインRPGという「ゲーム内ゲーム」であることに困惑したというが、プレイした中高生はそうしたことをまったく気にせず、普通に受け入れていることに感心していた。ただ、その上で、川原氏はいつか終着点として「ネットワークRPGでVR対応で、自分がひとりの無名のプレイヤーとなって、アインクラッドのマップ100層をクリアしていく『SAO』のゲームを作ってほしい」と二見氏にリクエストしていた。
川原氏のアイディアとモチベーションの源泉になったもの
近年は現実のものになりつつある技術をいち早く小説で取り上げていた川原氏だが、仮想現実や電脳世界をテーマにした作品は70年代から存在していたと語り、自身の発想のもとになったものとしてジェイムズ・P・ホーガンのSF小説「仮想空間計画」を紹介。主人公がライバル会社の社員にだまされて、自分が開発していたVR世界に閉じ込められるという話で、そこが仮想世界なのか確かめるためにバーに入ってグラスか何かを叩き割り、システムが追いつけなくてちょっと解像度が下がったことから虚構の世界だと見破る場面が「すげえ面白い!」と思ったそうだ。
日本でも岡島二人の「クラインの壺」や高畑京一郎の「クリス・クロス」といった仮想現実を題材した作品があり、そうした先人たちのイメージがベースにあると強調。同時に、自分が「ウルティマオンライン」や「ラグナロクオンライン」に費やした「膨大な時間の元を取りたい」というのも小説を書いた大きな動機になっていて、「あの経験がなかったら書けなかった。ネトゲ廃人をしていた自分を肯定できるのがうれしい」と語り、会場を笑わせた。
一方で、仮想現実をテーマにした小説やさまざまなオンラインゲームがすでに存在していたことから、連載を開始した2001年の時点でVRMMOデスゲーム小説というのを誰かが書くのは「必然」で、偶然自分が先に書いただけだと川原氏は言う。ただ、デスゲームの要素を追加した段階で、プレイヤーを何らかの形でゲーム中に拘束しなければならず、その要請から「ナーヴギア」という「破壊できないし、外せないヘッドギア」を考案したそうだ。ちなみに、人間の魂のようなものを仮想空間に送り込み、ゲーム中で死ぬと魂も消えるといった仕掛けも考えたというが、SF小説に寄りすぎると判断して採用しなかったとのことだ。
このヘッドマウントディスプレイという技術について、原田氏から「けっこうカベにブチ当たるのが早かったと思っている」と衝撃の言葉が。今のVRは慣れると体験の質を類推できるようになり、自身の想像の域を出なくなると指摘。そうなると、大がかりなヘッドマウントディスプレイをいちいち装着するのを面倒と感じるようになるという。いわば限界がきていて、何らかのテクノロジーの革新がないと「次はない」とまで感じているそうだ。
もちろん、グラフィックや解像度なども重要だが、特に原田氏が重視するのがヘッドマウントディスプレイの装着の手軽さだ。現在の主要な機器はいずれも頭部を強く締め付ける必要があり、夏だと汗で蒸れるなどの問題もあるため、どうしても5分間くらいの体験にとどめざるをえない。そのため、長時間プレイできるようにするにはデバイスの進化が必要で、メガネ型のデバイスやコンタクトレンズ型、さらに網膜に直接映像を照射する形など、さまざまな方法が考えられるが、現時点ではどれも未知数であるとのことだ。
さらに、川原氏から映像のインプットからくる身体の動きをどう制御するかというアウトプットの問題も出された。たとえば仮想空間内の草原を走ろうとすると、現実の自分の身体も動いてしまう。小説ではこの問題をクリアするため「延髄の神経をマヒさせる」というヤバい設定を取り入れており、やっぱり「マトリックス」や「攻殻機動隊」の世界になるのかと川原、原田両氏は笑った。
ここで川原氏と原田氏が、PS VRを個人で持っていないという意外な事実も発覚。入手の機会を得られないまま今日まできてしまったそうで、「このままこの時代を終えようと思っています」(原田氏)、「完全に“2”待ちです」(川原氏)とそれぞれ語り、会場を笑わせた。
「ポケモンGO」ブームとの幸運なシンクロもあった劇場版
次のテーマは「SAO」のデバイスについて。特に話題になったのが劇場版に登場したAR型情報端末「オーグマー」だ。川原氏はシナリオを書いていた段階ではヘッドホン型を想定していたそうだが、監督からデカいと言われ、劇中で使用されたイヤホン型になったそうだ。
川原氏は「女神転生」シリーズや「グランツーリスモ」シリーズなど、「ゲームの中で再現された現実の街」というのが好きで、当初は劇場版もVRで再現された東京の街を舞台にシナリオを考えていたという。だが、仮想の東京で戦っているとき、生身のプレイヤーは離れた地の自宅のベッドで寝ているという現実とバーチャルの乖離が気になってしまったそうだ。
これまでの「SAO」はゲームの世界からログアウトできない状態だったが、劇場版は仮想と現実を行ったり来たりするため、生身で行動する形にしたほうが妙な距離感がなくなると判断。あくまでシナリオ上の都合だったが、絶好のタイミングで「ポケモンGO」が世界的ブームになったので担当編集の三木一馬氏から「川原先生は強運だ」と言われたそうだ。
ちなみに、脚本執筆時はまだブームの前だったが、前身の「イングレス」はヒントになったという。また、最近の「ポケモンGO」のレイドバトルは川原氏いわく「まさにやりたかったこと」で、二見氏も「あれをVRでやりたい」と語っていた。
ただ、劇場版に登場した「オーディナル・スケール」は現実世界で戦うことになる。当然、運動神経のあるほうが有利になるため、「ここに集まっている人種が楽しめるゲームじゃなくなりますよ」と原田氏。「ボクはクーラーがきいていないとダメです」と苦言を呈していたが、川原氏は体力を使わない攻略方法をあみだす人が出てくるだろうと予測していた。
また、原田氏はこのシステムが現実を書き換えるMR(ミックスドリアリティ)に近いことから、ゲームよりも世の中の利便性向上に利用したほうがよいのではと提案。たとえば、タクシーが空車かどうかひと目で分かるようにしたり、マンションやホテルの空き状況が建物に表示されたりといった利用方法を挙げていた。
もはや夢物語ではない知性を持ったAIの登場
最後のテーマは「SAO」で描かれたAIについて。二見氏いわく劇場版は死んだ人間をAIとして生き返らせるというのが裏テーマになっていたというが、原田氏によると故人のデータをAIとして再生してセラピーとして利用したり、知識やノウハウを再利用できるようにするなどの研究はすでに行われているという。保険会社などのサポートチャットでもすでにAIが利用されているなど、文字のレベルではかなりのところまできて、自我を持つAIの登場はもう遠い未来のことではないそうだ。
そうすると、格闘ゲームでも対人戦よりも、ライバルとして競っている感を演出してくれるAIとのプレイのほうが楽しいかもしれない。ARやVRとの相性もかなりよく、劇場版に登場したAIはまだかなりのオーバーテクノロジーだが、案外早く実現するかもしれないと原田氏は語っていた。
「SAO」の後半「アリシゼーション」編で描かれたAIも話題に。「SAO」の人工知能は「トップダウン型」と「ボトムアップ型」の2種類があって、(詳細は下の画像参照)、トップダウン型は先ほど原田氏が例として挙げた保険会社のサービスチャットの究極型で、人間とは異なるものと定義されている。
対するボトムアップ型は、脳を再現することで知性を発生させようとするもの。かつては夢物語とされていたが、ニューラルネットワークの発展から実現性が高まっており、いずれ会話の内容を理解した上でしゃべれるAIが登場してくるかもと川原氏は予測。原田氏も自分たちが生きている間かは分からないが、いずれ必ず知性を持つAIが登場してくるだろうと断言していた。
人間を滅ぼすAIは登場してくるかもと気にする川原氏だが、原田氏は楽観視していて、人間を消そうとするAIもいれば、守ろうとするAIもいるはずで、そこまでディストピアにならないのではと語った。
最後にまとめとして、原田氏と川原氏がそれぞれ来場者にメッセージを送った。
原田氏:VR(仮想現実)は本当に面白くて、やればやるほど現実社会を再定義しなくてはいけなくて、そこから分かってくるものはいっぱいある。VRMMO自体がどれくらい再現できるのか、どれくらい先になるかはわからないが、人間は新しい世界と価値観とAIという新しい生命を生もうとしている。今、スタート地点に僕らはいると思うので、この研究に足を踏み入れていたいとより思うようになりました。
川原氏:小説を書いていて、最近は現実のテクノロジーに状況によっては追い抜かれている部分もすごいあります。例えば、小説内に出てくるガジェットのスペックを決めてくれと言われて適当に書いたら、「今はもうちょっと上を行っていますね」と言われることもあって。こういうジャンルを書くサイトは現実と想像力の競争というか、せめぎ合いになってくると思いますので、現実に追いつかれないように、ひと足先ふた足先の未来をお見せできる作家になりたいなと思っています。
※画面は開発中のものです。
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