5月31日、東京・御茶ノ水のデジタルハリウッド大学大学院 駿河台キャンパスにて、メディアコンテンツ研究家・黒川文雄氏主催の「エンタテインメントの未来を考える会」のトークイベント「黒川塾(三十五)」が行われた。

目次
  1. デジキューブはアイデアとしては先進的だった
  2. スクウェア・エニックスで進めてきたこと
  3. IPの活用法やCESAでの取り組みについて
  4. シンラ・テクノロジーでは何をやろうとしていたのか

今回のテーマは「ゲームビジネス潮流観測2 ~ 藍綬褒章受章記念ナイト」。そのタイトルが示す通り、日本におけるコンシューマゲーム業界の発展に尽くしたことを受け、2016年4月に藍綬(らんじゅ)褒章を受章した和田洋一氏がゲストに迎えられた。

和田氏は2014年1月23日に開催された「黒川塾(十六)」に続き、今回が2度目の登壇となる。スクウェア(現:スクウェア・エニックス・ホールディングス)の入社から16年間にわたり、経営者としての目線でゲーム業界に携わってきた同氏の経歴を通して、ゲーム業界の変遷を見ることができた。

デジキューブはアイデアとしては先進的だった

黒川文雄氏

まずは和田氏と黒川氏との接点となる、デジキューブ時代の話が展開していく(黒川氏は元執行役員、取締役)。当時デジキューブがやっていたことは、ゲーム会社からタイトルのパッケージを買い取り、それをコンビニに卸すというものだ。

新たな流通を生み出すその仕組みから当初は脚光を浴びたものの、親会社のスクウェアとして連結対象から切り離さざるを得なかった理由として和田氏は、スクウェア自体の状況もあることながら、デジキューブそもそもの構造自体にあったと説明。

元々ゲームの流通は一度商品を仕入れると返品できないものになっているが、その一方でコンビニでの流通は返品があるものとなっていたことから、デジキューブが在庫を抱える必要がある。結果的にBS(バランスシート)を見た資金運用が重要な事業となっていたが、スクウェアはあくまでもサービスのプロデュースという目線だったことから、マイナス売上が出始めるなどして、最終的に断念することになったのだとか。

だがプラットフォームとして流通を一元化するという仕組みはその後もアイデアとして引き継がれていき、Steamなどのサービスに繋がっていく。そうした変遷を見ても、デジキューブが目指したものが当時としては先進的であったことがうかがえる。

スクウェア・エニックスで進めてきたこと

その後は、スクウェアの代表取締役社長就任からスクウェア・エニックス・ホールディングスへの経営統合、そして退任までのさまざまな取り組みが和田氏自身の口から語られることに。

当時のスクウェアは映画「ファイナルファンタジー」の失敗などがあったが、実は和田氏の社長就任時は部長クラスの社員が一気に退職するなど、想像以上に厳しい状況だった。なぜそのような状況になっていたのか、それはスクウェア自身が非常にアグレッシブな新規事業に取り組んでいたことにあるという。

当時のスクウェアはゲーム事業はもちろんのこと、その他に先述の映像事業やデジキューブ、POL(プレイオンライン)事業などを進めていた。だが、当時は開発中のゲームタイトルが「ファイナルファンタジーIX」と「ファイナルファンタジーX」などに限られていたことから、資金の確保が必要だったそう。

そして、新規事業に関しても全て自己資金を使って進めるものばかりだったため、映像は「ファイナルファンタジー」以降の作品の用意がなかったことから事業を凍結、ポータルを作ろうとしていたPOL事業は提携先に全て断りに行き、キラーコンテンツになり得る「ファイナルファンタジーXI」に経営資源を集中させるなど、社内を大きく改革し、エニックスとの合併時には創業以来の最高益で終わることができたと話した。

和田洋一氏

その後、エニックスとの経営統合によりスクウェア・エニックスとしてのスタートをきることになるのだが、その経緯についても和田氏が順を追って振り返る。当時はゲーム産業全体が堅調だったこともあり、スクウェアとしてはユーザーとの接点を増やすこと、そしてグローバル化を課題として持っていたという。

まずはユーザーとの接点だが、コンシューマに関してはPlayStationハードのみの展開だったこと、さらにPCのマーケット、アーケードに向けたタイトルもなく、ジャンルもほとんどRPGだったことから、多様性を持たないと厳しいと感じていたそう。また、グローバル化という点では、海外ではそれぞれ異なるパブリッシャーからのリリースとなっていた。

ユーザーとの接点を増やすという点から、経営統合のパートナーを探す中、携帯電話向けのコンテンツなどネット系の事業に着手していたエニックスをパートナーとすることに。さらにアーケードゲームを手がけていたタイトー、そしてアクション性の高いタイトルを生み出すためにアイドスをそれぞれ傘下に迎えて、ノウハウが必要なタイトーのオペレーション部分以外は融合させていく方向で進めていった。

それから和田氏は、各事業をキャッシュフローで切り分け、MMORPGが底を支え、F2P(Free to Play)タイトルは短い投資で短い回収を行い、それらの事業で得た技術をハイデフに応用していくというモデルを取っていったが、記憶に新しい「ファイナルファンタジーXIV」のサービス開始時の失敗などもあり、人生で初めて入院するなど苦しい時期が続いたという。

結果的に「ファイナルファンタジーXIV」プロデューサー兼ディレクターの吉田直樹氏に代表されるような多士済々が出てくることになるが、一方で従来のままでは成長戦略がしっかりと進まなかったため、会社としての外縁は変えずに、F2Pに関する全社的な教育を行い、F2Pに取り組むための組織作りを進めていった。

現在でもF2Pタイトルの代表格であるスマートフォンタイトルのヒット作は限定的で、再現性が低いというのはよく指摘されている部分ではあるが、各社のノウハウを共有していけたら面白いと話していた。

IPの活用法やCESAでの取り組みについて

経営者としてスクウェア・エニックスでさまざまな取り組みをしてきた和田氏だが、その中で得たゲームにまつわる知見として、IPの活用に関する話を聞くことができた。

和田氏はスクウェアの代表取締役社長就任時に坂口氏から「新しいチャレンジをするときにはIPを使え」という話があったことを明かす。例えば、PlayStationへの参入時は「ファイナルファンタジーVII」、MMORPGを制作する際には「ファイナルファンタジーXI」といった具合にだ。

ただ、インターネットの本格化、そして買収後にほかの分野を見るようになってから、プレイ環境が動作環境に依存すること、そして客層もジャンルによって全然変わってくることから、近年の「パズル&ドラゴンズ」「モンスターストライク」のようなタイトルのように、新しいチャレンジはノンIPで展開し、新規IPとして成長させるべきという考えにシフトしていったという。

ちなみに、例外として挙げたのは「ファイナルファンタジー」と同様に、スクウェア・エニックスの代表的なタイトルである「ドラゴンクエスト」。こちらはナンバリングタイトル以外は必ず違うゲームデザインにするというポリシーが守られているため、そのままの方向性で進めていったそうだ。

また、和田氏が歴任したCESA(一般社団法人コンピュータエンターテインメント協会)の会長時代のエピソードも多数語られる。なぜ会長に就任したのかについては、当時CESAの内外で問題となっていた暴力ゲームについての話がこじれていたことから、問題を解決するためだったそう。

当時のCESAは表現の自由という観点から問題を捉えていたが、取り締まる立場である警察庁の人に話を聞いたところ、問題点は青少年の健全育成ということだと認識、当時のゲームマーケットが大人に向けたゲームが中心だったこともあり、レーティングの仕組みを強固にし、CESAの会員となっている企業に徹底したという。

続いては、先日も世間を騒がせたネットワークゲームにおけるランダム型アイテム、つまりはガチャの問題に関する話題に。これに関しても国内におけるネットワークゲームの黎明期からの流れに沿って、これまでの対策を紹介。

まずは「ファイナルファンタジーXI」で問題となっていたRMTに関してだが、取り締まる根拠法がないこと、そしてゲーム内での受け渡しをMMORPGから無くしてしまうとゲームとして成り立たなくなってしまうことから、自主規制のガイドラインを作ることになった。

当時はオンラインゲームの運営会社を中心としたJOGA(日本オンラインゲーム協会)も発足し、ガイドラインを制定していたが、CESAは独自に作成。その後は両者のブリッジとしてガンホー・オンライン・エンターテイメントの代表取締役社長である森下一喜氏に理事として参加してもらったという。

さらに、CESAによるソーシャルゲーム協会(JASGA)の吸収などを経て現在に至るわけだが、和田氏はガチャに対しては、デジタル財の価格付けがまだできていないことに言及。開発費に対する価格設定をしっかりとするなど先んじて対策をすることが大切だと話した。

そのほか、経団連として著作権にまつわる問題に尽力していたことなども語られたが、話を聞いていると、論点をクリアにすることで、対処法を見出していくのが和田氏の取り組みの中で印象的だった。

シンラ・テクノロジーでは何をやろうとしていたのか

スクウェア・エニックス・ホールディングスの代表取締役社長を退任後、和田氏がやろうとしたこと、それは新たなコンピュータのかたちに対応するための準備だった。

これまでのコンピュータの歴史として、パソコンが小型化してよりパーソナルなものになり、そしてインターネットの普及が進んできたが、それらが5年前のスマートフォンの登場で噛み合ったことで大きく躍進。しかしながら、現在は業界自体はレッドオーシャンで戦う時代へと映っているという。

2020年ごろまでにコンピュータに起こりうること、それはコンピュータのかたちそのものが変わることであり、それにプロセスするのがVR(仮想現実)、AR(拡張現実)、IoT(モノのインターネット)、クラウド、AI(人工知能)であることに和田氏は着目。

その準備を進める上で、スクウェア・エニックスとしてはVR、ARに関連するハードウェアの開発技術はなく、IoTはあくまでも組み込まれる側の話で一社で頑張っても無理だということから、一番最初に着手しようと考えたのがクラウドとAI。結果、AIにフィーチャーしたクラウドに着手するために生み出したのがシンラ・テクノロジーというわけだ。

実は現在、スクウェア・エニックスの中ではAI分野に人材を集めているという。それはクライアント側ではなく、クラウド側でAIに学習をさせて、AR、VRの仕様が固まったら連結させようというものだったが、結果的に2年で解散することになった。

これらの取り組みに対して和田氏は、積極的に考えてやることが重要だと話す。現状でもVRに関連した投資は活発だが、開発に関してもまずは失敗しても作り続けることが必要であり、昨今の取り組みの中では開発と投資の両面で動くコロプラや、「VR ZONE Project i Can in」を展開するバンダイナムコグループの取り組みを評価。そして、これからのゲーム業界の発展に対して、ソフト、ハード、エンタメのいずれにも精通し、そして実験市場を持っている国は日本しかいないと話し、IoT時代には強みになると話した。

最後に藍綬褒章の受章について、今回ゲーム業界の関係者が受章できたことを通して、業界が認知されていると和田氏は感じたそう。そして自身の今後については、証券業界とゲーム業界にそれぞれ16年携わってきたことから、これからの16年で何をやっていくのかを考えているところだという。本人の口からはバイオ産業での関心が語られていたが、果たしてどのようなかたちでまた名前を見ることになるのか、注目したい。

※メーカー発表情報を基に掲載しています。掲載画像には、開発中のものが含まれている場合があります。

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