オンラインにて8月24日~26日にわたって開催の「CEDEC2021」。ここでは、8月26日に行われたセッション「『Ghost of Tsushima』のローカライズができるまで」の内容をお届けする。

目次
  1. まず、ローカライズについて知ろう
  2. 時代考証的には良くてもプレイ性は良くない……その模索
  3. ローカライズチームの裁量で、ゲームとしての最適なバランスを取る
  4. 武士チームと庶民チームに分けて言葉遣いを変える
  5. ユーザーに感動を届けるエモい芝居
  6. テキストに見る世界観

登壇者はソニー・インタラクティブエンタテインメントより坂井大剛氏と、関根麗子氏。このセッションは、前代未聞の“北米開発チームによる時代劇”「Ghost of Tsushima」のローカライズにて、開発チームとの連携やローカライズのプロセス、未知のジャンルへのアプローチの仕方、どこまで史実に忠実にやるのかなど、「Ghost of Tsushima」(以下、「ツシマ」)の日本語化について紹介する。

まず、ローカライズについて知ろう

ローカライズとは、海外で生まれた製品・サービスを他国でも使用できるように言語を変換することで、音声やテキスト、表現をその国の文化に合わせるカルチャライズも含める。質の高いローカライズは、海外で作られたということを感じさせないような製品だという。

「ツシマ」はアメリカの開発会社によって作られた時代劇アクション。

まずはSIEのローカライズプロセスの一連の流れを紹介しよう。海外から素材が到着したら、翻訳や尺合わせ(ボイス時間の尺に合わせる)を行う。そのあと音声収録にはいり、ゲーム内で使用するテキストを翻訳。最後にQAチェック、という大きく4つの工程となる。

中でも音声収録に関わる部分は大変で、台本は時系列分に届くわけではないので、仁がこの時点でどれくらい冥人(くろうど)寄りなのか、というような物語上の背景なども確認しながら、収録を進めていかなければならないという。

更にゲーム内の全てのテキストを翻訳する作業と共に、後から届く台本の翻訳・音声の再収録などを行うのだが、「ツシマ」の場合はコロナの影響などもあってほぼ1年近くもかかったという。だがその膨大な時間は、全て「ユーザーに感動を届けるため」であると、坂井氏は語った。

時代考証的には良くてもプレイ性は良くない……その模索

「ツシマ」のローカライズで何よりも重要視したのは、開発会社であるサッカーパンチ(SP)が何をやりたいかを、ローカライズ側が正しく理解することであったという。

実際にSPが掲げていた目標は

  • 舞台となる日本に敬意を払い、日本人が違和感を覚えるトンデモジャパンにしないこと
  • 時代考証や正確性を優先した時代劇レッスンではなく、エンタテイメントであること
  • ハリウッド的ではない、時代劇のエンタメを作ること

という、この3点だった。

トンデモジャパンは我々日本人ならば一度はどこかで目にしたことがあるのではないかと思うが、海外の人が思い描く日本像を描いた結果、日本人から見ると「なんだこれは」となってしまうような作品のことだが、坂井氏曰く「海外の開発会社が自らトンデモジャパンにしたくないというのは珍しい」ということで、これだけでSPの覚悟が伝わってきたという。

このように最初からSPと最終的なゴールを共有していたことによって、坂井氏らローカライズチームは、意識のズレなくローカライズに携わることが出来た。

更にSIEならではの横の繋がりによって、開発の初期段階にはSPから既に日本チームに相談があり、笹やススキの鳴る音など日本ならではの環境音の録音、マップに使用するマーカーのアイコンデザインなどに日本のチームが協力している他、対馬および日本各地の取材に協力していた。

また、ゲーム中の収集要素である“文”には色々工夫をしたという。例えばさだおが妻に宛てた手紙は、時代考証としてはひらがなのみで書かれるのが正しく、濁点すら使用しない。だが、そのままでは時代考証としてはOKでもプレイヤーは読めなくなってしまう。

この「時代考証と、ゲームとしての遊びやすさ」という点は色々と模索もしたが、「ツシマ」は歴史レッスンではなく時代劇エンタメだからこそ遊んでもらうプレイヤーに理解してもらわなければならない、ということを重要視したそうだ。

左は時代考証に基づいた文で、右はゲーム中に実際に登場する文

ローカライズチームの裁量で、ゲームとしての最適なバランスを取る

しかし、そもそもとして坂井氏はまず時代劇に馴染みがなかった。鎌倉時代のことなども、全く知らなかったという。そのため、何はともあれまずは時代劇が何たるかを知らなければならない。端的に言うと、知識を蓄えなければならなかった。

坂井氏は、本、辞書、映画、ワークショップなど、様々なものから時代劇に関する知識を深めていった。その時にワークショップで教えられた「昔のことなんて誰も知らないのだから、正解なんて存在しない」という言葉には感銘を受けたそうだ。

だが、「正解がないから何をしてもいい」というわけではない。それでは結局、トンデモジャパンになってしまう。正しい知識を身に付けることによって、何処まで尊重して何処を省くか客観的に取捨選択ができるようになろう、ということだ。

そうして坂井氏は時代劇や、鎌倉時代の武士と庶民を知ることとなるが、それは「ツシマ」の世界にそのまま当てはめるべきではない、と感じたそうだ。「ツシマ」で重要なのは「エモさ」であり、SPが最初の方針として掲げていた点も含めて、事実と違っていようと大多数のプレイヤーの感情移入を妨げることがない内容にしつつ、時代劇に馴染みのない人にもエンタメとして分かる楽しさが最適なバランスなのではないかと考えた。

例えばメインストーリーとなる「仁之道」は、英語表記だと「Jin's journey」になるが、それを見たユーザーが時代劇だと感じられるかというと、感じられないだろう。サイドストーリーの「浮世草」なども然り、更には「離之段」などの表現も本来だと「act.1」などと表現するところを変更している。

更に、英語では百合は「YURIKO」なのだが、この時代に子の付く名前は基本的にないため。日本語版では百合に。だが、政子は「お転婆だから政子という名前がつけられた」という裏の設定や、仁は「本来なら仁(ひとし)だけれど、仁(じん)と呼んでもらうことにしている」というような部分もローカライズチーム側の裁量で変更を行っている。

エンタメではあるが、エンタメだからなんでもOKなのではなく、開発側の目標を達成するためにローカライズ側では何をすればその目標に達成できるのかということを考えていくことにより、作品に統一性も生まれるという。

武士チームと庶民チームに分けて言葉遣いを変える

次に行き当たったのは、言葉の問題だ。「ツシマ」はオープンワールドなので、時代劇に偏った語り口調とは相性が悪く、プレイしながら会話を聞くにはもう少し馴染みのある言葉のほうが良かった。

そこで、「ツシマ」では語り口は現代的に、ただし中世(平安末期~鎌倉~室町)の言葉を中心にし、平安以前の言葉も現代で通じるものは採用、江戸~明治生まれの言葉はできるだけ排除(ただし理解を優先)といったルールで作っていくことになった。

なおその際には辞書などを活用し、その言葉が初めて文献に出てきた時代などを調べていったという。

だが、これを全ての全てのキャラクターに適用しているわけではない。「ツシマ」は武士チームと庶民チームのほぼ2つに分かれており、面目や名誉を大事にしている武士チームにだけこのルールを強く設定し、あえて”理解しにくい存在”であることを強調。逆に庶民はメンタリティも現代寄りなため、話し言葉などをそこまで縛っていない。実際に仁とゆなが会話するシーンなどを見てみると、その違いがはっきり解るだろう。

ローカライズとは直接関係ないが、仁の言葉の「誉は浜で死にました」といった
印象的な言葉の一部は、七五調を意識しているという。

一方で、ミニゲームの和歌や伝承の語りなどは、あえてユーザーを無視して昔言葉を語らせたところで、SPの目指す「時代劇の中に入ってほしい」という想いを尊重した。武士がエモーショナルに和歌を詠むという点で、これまでと調子を変えたほうが武士っぽくなるのではないかと平安時代あたりの言葉も使うようにしており、伝承は絵巻物の絵に力があるため、より一層その雰囲気を強調するためにも時代劇感が強い言葉や七五調を取り入れ、江戸期の要素も加えたという。

ユーザーに感動を届けるエモい芝居

ユーザーに感動を届ける要素として重要な要素、“芝居”。この芝居部分については、基本的に関係者みんなで相談をしながら方向性を決めていったということだが、特に方向性を決定づけたのはゆな役のオーディションをしていた時だったという(この時点で、仁の声優は既に決まっていた)。

ゆなの芝居には今っぽくない良い意味での泥臭さがあり、「王道のかっこよさではなく泥臭いものを作りたいという方針と一致したのを感じた」と、坂井氏。このゆなをきっかけに、あえて王道ではないほうを選ぶようにしていった結果が、今の「ツシマ」に繋がった。

だが、王道をどんどんと捨てていくことでエンタメ性が失われてしまうのではという懸念があったため、悲しみ・葛藤などを描いている場面の多い「ツシマ」では“感情ファーストの芝居(エモさ)”を心がけた。

また、役者陣は台本を渡されるまで細かい内容を知らないため、開発陣が求めるキャラクター像と齟齬が出ないように、収録前に認識合わせを行い、さらに役者自身が思い描くキャラクターのイメージも提案してもらうことによって、より一層キャラクターの深みを増すことが出来たという。

ここで実際に政子の登場シーンでの、日本語版と英語版の比較映像が流れた。

残念ながら画像だけでは伝わらないが、日本語版の政子といえばユーザーからも「バーサーカー政子」などといったあだ名をつけられるほど怒りの感情が前面に出ているキャラクターで、特に一族を殺した敵を見つけるや否や、怒りのあまりひとりで突っ込んでいってしまうような無謀な面も多く見られるが、英語版の政子は怒りよりも悲しみをメインに出すような演技をしている。

政子は実は優しいという設定がロード画面中のTIPSでも確認できるが、英語版の政子はそのTIPSに忠実な演技をしている一方で、日本語版の政子は激しさが目立ちつつも、だからこそ彼女がふとした時に見せる優しさに染み入るものがあった。まさにローカライズチームが目指していた“エモい芝居”故なのだろう。

テキストに見る世界観

最後に紹介するのは、ゲーム中に登場するフレーバーテキストなどだ。前項でも少々触れたが、作中に登場する”文”では、その文を書いた人物の教養レベルの違いを出すようにしている。

農民の場合、本来ならばひらがなすら書けるか怪しいレベルだが、ひらがなのみでは読めないため、時代考証は無視。だが、漢字をできるだけ少なくして、かつ片言にすることで教養レベルの低さを表した。一方で僧徒は知識レベルが高いため、こちらはこちらで時代考証的にはNGであっても、知識レベルを高く見せるためにNG要素も多く含めている。

装具の染色名などの翻訳も、「旅人の装束」にちなんで、染色名は「浮草」や「浪人」など、全て「旅人」と同じ意味を持たせるなどの工夫がある。

ミッション名は、原文のままだと日本人にとってはシンプルすぎるため、原文を無視して日本独自のものを作成。例えば百合に関連するミッションには全て「在りし日の」という言葉が冒頭に入っていたり、石川先生のミッション名は全て「〇〇と〇〇と」に変更している。

このようなタイトルで統一感を持たせる手法は漫画などで主に使われているが、坂井氏はそれによってプレイヤーにより深く没入感を与えられると思ったそうだ。また、「最近のプレイヤーはとても細かいところまで見てくれているため、こだわれるところはこだわったほうがいい」とも力説した。

「原文を無視している」とは言っても、ポイントはきちんと押さえられている。

最後に坂井氏は、改めて「開発側とローカライズ側で共通のゴールを持つこと」「ユーザーに理解してもらうことを達成できなければ、それ以上のことは伝わらない」「開発側の目標を達成するために、ローカライズ側ではどうやってそれを達成するのかを決めることで統一感を出せる」「なんでもOKではなく、ユーザーの共感を重視する」「目標のためならば大胆なプラン変更もあり」「神は細部に宿る」と本セッションを締めくくった。

今まで何気なくプレイしていた人たちはもちろんのこと、細かいところまでチェックをしていた人も、どのキャラクターがどういうルールで話しているのか、ゲーム中のテキストはもちろん装具などの和訳まで、ぜひ色々と見直してほしい。きっと新たな発見があるはずだ。

※メーカー発表情報を基に掲載しています。掲載画像には、開発中のものが含まれている場合があります。

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