札幌市や、セガ札幌スタジオなどをはじめとした札幌を基盤とするゲーム開発関連企業とが連携して行う複合イベント「Sapporo Game Camp 2024」が、2024年10月11日~13日にわたって開催された。ここでは、10月11日に行われた基調講演「ゲームクリエーターを目指す君たちへ」の内容をお届けする。
「Sapporo Game Camp」とは、札幌のIT人材およびゲームクリエイターの育成と、さらなるエンタメ業界の盛り上げを目的とし、ゲーム開発に関心を持つ社会人、学生を対象にゲーム開発企業所属のクリエイターと共に2日間かけてゲーム開発を行う「Game Jam」と、小学校から高校生までの生徒を対象とした「ぷよぷよ」を題材にしたプログラミング講座×eスポーツ サッポロ タッグチームトーナメントや「初めてのCG講座」、ゲストによるトークセッションなどが行われるイベントだ。
2022年に第1回が開催され、今回は第3回目となる。今回から、会場をサッポロファクトリーに移し、年々規模が拡大しているゲームイベントである。
基調講演「ゲームクリエーターを目指す君たちへ」に登壇したのは、セガ札幌スタジオ 代表取締役社長/Sapporo Game Camp 実行委員長 瀬川隆哉氏、バンダイナムコスタジオ スーパーバイザー 坂上陽三氏、Cygames 執行役員/コンシューマー事業本部 本部長 馬場龍一郎氏の3名。
瀬川氏は、1992年セガ・エンタープライゼス(現セガ)に入社。スポーツゲーム、オンラインゲームを中心に数多くのタイトルを手掛け、その後執行役員兼クリエイティブオフィサーを経て2024年にセガ常務執行役員に就任。2021年よりセガ国内2番目の開発拠点「セガ札幌スタジオ」を設立し、代表取締役社長も兼任している。
坂上氏は、大阪芸術大学卒業後、1991年(旧)ナムコにビジュアルデザイナーとして入社。アーケード、家庭用、モバイルゲーム開発にてビジュアルリーダー、ディレクター、プロデューサーを担当。現在はバンダイナムコスタジオにてスーパーバイザーとして所属。代表作には「リッジレーサー」、「アイドルマスター」シリーズなどがある。
馬場氏は、前職にてコンシューマーゲーム、アーケードゲームの開発、タイトルの管理やマネジメント業務に携わった後、2020年にCygamesに入社。2023年5月には執行役員に就任。コンシューマー事業本部の本部長としてコンシューマー事業全体及び海外事業の統括を担当している。
なお、瀬川氏と坂上氏は同じ大学の出身で、下宿も同じだったのだという。瀬川氏と坂上氏の部屋の間に住んでいた住人はコナミに入社し、某ダンスゲームを作ったあの人だったそう。
さらに同じ下宿には「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」のデザイナーもおり、ナムコ、コナミ、セガとさまざまなゲーム会社で活躍する人材を輩出した下宿で、瀬川氏と坂上氏はもう30年以上の付き合いになるそうだ。「今日こういう場所でトークセッションを行うことになるとは夢にも思わなかった」と瀬川氏は振り返る。
そして馬場氏は、バンダイナムコ時代に坂上氏と席が隣同士だったことから、坂上氏と意気投合。いつも夜中までふたりでさまざまな話を語り合った秘話を明かした。
瀬川氏と馬場氏は15年ほど前にPlayStation Awards(現在はPlayStation Partner Awards)という、PlayStationフォーマットの中でその年に売れたタイトルを表彰するイベントで坂上氏と通して知り合い、それ以来しょっちゅう3人で飲み明かすようになったのだという。ゲーム業界にとって飲み会は重要な場で、情報交換などはもちろんのこと、考え方や技術などをお互いに話しながら切磋琢磨していく稀有な業界だそうだ。
ちなみに馬場氏はCygamesに入社後はメディア露出を控えていたのだが、今回瀬川氏たってのお願いということもあり、久しぶりにこのような場に立つことにしたという。
今ではこうして三者とも重要な役職に就いているが、ゲーム業界に入った当初はゲームセンターに配属されるところから始まったのだそうだ。
家庭用ゲームはなかなかユーザーの顔が見えないが、ゲームセンターはユーザーの反応がとてもストレートに見れる場所で、どうやってゲームを楽しんでいるのかを目の当たりにできる場であり、ゲームセンターに配属された3か月間はとても貴重な時間だったと、瀬川氏と坂上氏は当時を振り返った。
この講演には学生が多く参加しているということもあり、坂上氏も「ぜひゲームセンターに足を運んでほしい」と語りかけた。
瀬川氏にゲーム業界に入ったきっかけを尋ねられると、馬場氏は「ゲームを作るにはゲーム会社しかなかったから」とその理由を語った。音楽やファッションなどにも興味があったという馬場氏だが、これらの業界は入らずとも自分で疑似体験ができるのに対し、当時はゲームを作るということがゲーム会社に入らないと難しい時代で、かつ大好きだったゲームを作ることが自分の人生が最も豊かになるのではないかと考えたのだそうだ。
さらに「ぶっちゃけると、スーツを着たくなかったんです」と馬場氏。これには会場に集った多くのファンからも大きな笑いが起こった。もちろん、ゲーム業界といえどスーツやジャケットを着なければならない場面もあるものの、基本的にはラフな格好が許される業界だ。実際、入社当初はスーツで行ったほうがいいのだろうかとスーツを着ていった坂上氏も、1日目にして「なんでそんな恰好してるの?」と言われたという。
なお坂上氏は、実はナムコとコナミを間違えて応募したという、ジョークのような本当の話を打ち明けた。坂上氏は関西出身なこともあり、当時は神戸に本社があったコナミに応募したかったのだそうだが、電話をかけてからナムコとコナミを間違えてしまったことに気付いた。そして間違えてしまったナムコで「今は開発は募集していない」と言われたため、それで終わるところだったのだが、「営業企画なら募集している、まずはそちらで入社してから開発に行くこともできるかもしれない」と持ち掛けられ、当時無職だった坂上氏は「ならば」ということで作品を送ったところ、開発のほうで面接をしてもらえることになったのだ。
瀬川氏にこれまで経験したことのなかで一番印象深かったことを尋ねられ、坂上氏は初代PlayStationのローンチタイトルだった「リッジレーサー」に関わった時の話を明かした。今でこそレースゲームの金字塔とも言える「リッジレーサー」だが、当時はスタッフも全然足りなかった中で作られ、ましてやPlayStationという当時は誰も触ったことのないハードでゲームを作らなければいけないという大変さについて語った。
描画量や色周りなど、例えばフルカラーで出せるということだったそうだが実際にフルカラーを出してみると重くなってすぐ処理落ちしてしまい、最終的に256色でやろうということになったが、今度は容量的に厳しくなり、テクスチャーを16色で作ることになったという。
また、坂上氏は自身が関わった人気タイトル「アイドルマスター」シリーズにも触れ、実は当初は家庭用「アイドルマスター」のプロデューサーをやるということは知らされていなく、顔合わせの場で初めて自身がプロデューサーを務めることを知ったそうだ。
当時、美少女ものの育成ゲームというのはナムコの開発陣のなかにノウハウがなく、どのように開発していくかはなかなか大変だったうえに「坂上に『アイドルマスター』ができるわけないじゃないか」というような声も聞こえたという。
そこで「俺はできる!」と一念発起した坂上氏はナムコの中で「アイドルマスター」を作るのを手伝ってくれるスタッフを探し出した。それは強いて言うならば、弱小野球部が甲子園を目指すために仲間を集めるようなものだったという。
サウンドも、歌を入れる音楽を作ってみたいということを話したら、サウンドチームがこぞって「ぜひ楽曲を作ってみたい」と手を挙げてくれた。なので、「アイドルマスター」は坂上氏ひとりの力で作ったものではなく、チームの総合力で出来上がった作品で、こういうチーム制作を経験できたのはとても良い経験だったと述べた。
続けて、働き始めて苦労したことややりがいについて尋ねられ、馬場氏は「団体スポーツをやっていた経験が活きた」ことを挙げ、ゲーム制作は全員が4番バッターやエースストライカーでも駄目で、必ず役割ポジションがあって初めてチームが成立し、どれだけ個人の力量があったとしても、チーム力で勝たなければいけない点について語った。
特にゲーム制作の現場というのは、プロジェクトごとに毎回メンバーが変わるのが普通だ。だが、それがこの業界の面白いところでもあるという。完成形のゴールもコンテンツやジャンルごとに全く異なるのがゲーム業界ならではのやりがいだと述べていた。
そして話題はゲームのグローバル展開に移っていく。いまや市場的には30億人とも言われているゲーム市場。その中で日本の市場は限られたものとなっており、最早海外展開は切っても切れないものとなっている。そのことについて、馬場氏は「これだけ多様化している社会の中で、日本国内だけで閉じることはもう到底できなくなっている」と語った。各社、国内の売り上げは20%にもならない程度で、残りの8割以上が北米欧州を中心としたワールドワイドなものになっており、今やPCゲームも無視できない。推奨スペックこそあれど、ハードを買わなくてもPCひとつでプレイできるというPCゲームは、今後益々無視できない市場になっていくと感じているようだ。
また、ゲーム業界は年齢が重ねてからでもチャレンジができる業界だとし、例えば40歳の人が今からオリンピックを目指すことはとても難しいことだが、ゲーム業界ではその年齢からでも世界一になれるチャンスがある業界だという。
実際、一昨年、昨年と、The Game Awardsは日本のタイトルが取っており、年齢を重ねてからでも世界一を目指せるワクワク感は我々ゲーム業界ならでは、という話に及んだ。加えて、2023年のゲームの世界の売上市場は29兆円といわれており、15兆円だという映画市場と比較しても、ゲームの市場は既に映画を2倍近くになっているという。日本では少子化問題が取り沙汰されているものの、世界的な人口は増えており、益々グローバルな展開は必須となっていくだろうとのことだ。
ゲーム開発をしている上で大事にしていることについて聞かれると、坂上氏は「いかにユーザー視点に立つかということ」だと述べた。これが意外と難しいことで、開発をしているとアイディアが優先されてしまい、そうなるとどんなに面白いゲームでもユーザーにとってはよくわからないゲームになってしまいがちだそうだ。ユーザーは、よくわからないゲームだとそこでプレイを止めてしまうことが多い時代になっており、体験のポイントをどこに持っていくのかが重要なのだと語った。
また、そのためにユーザーがどんなゲームプレイをしているのかを知るのも大事で、現在ではYouTubeの配信などで遊んでいるところが見えるので、そこでユーザーの声をどう聞くかというのも鍵になっている、と話す坂上氏。特にグローバル展開するにあたってポリコレを意識したり、各国の文化を取り入れたりしなければならない中で、どれだけ「知れる」かが重要なのだろう。
さらにゲームは基本的にチームで作るものなので、より大切なのはコミュニケーションであるという。お互いにお互いを敬い、それぞれのポジションからいいパスを出すことによって自分ができることの幅が広がっていくような関係性を築くことも大事だと語った。
最後にゲーム業界を目指す若者たちへのメッセージとして、坂上氏は「将来の目標が定まらなくてもいいので、自分の中で人を楽しませたいとか楽しませることが喜びであるという人であることが大事だと思う」、馬場氏は「学生のうちは、やるべきことは学校の勉強だったり、宿題だったりとかかもしれないが、社会人になるとそれを7対3の割合で考えながら、やるべきこととやりたいことのバランスを整えてスケールしてってもらいたいなっていう風に思う」、そして瀬川氏は「ゲームはテクノロジーとエンターテイメントの融合なのでセンスと教養を磨くのが大事で、毎日経済新聞を読む、毎週映画を1本見る、毎月本を何冊か読むなど何かしらの目標を立てて、それを3年続けてもらうことで、何の目標も持たずに生活してた人と目標を持ってて生活をした人では、3年経った時に差ができると思う」とそれぞれ語り、本セッションは終了となった。
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