2024年11月23日に開催された「CEDEC+KYUSHU 2024」より、基調講演「ペルソナのこれまでとこれからの話」の内容をお届けする。

本セッションでは、アトラスより和田和久氏、モデレーターとしてサイバーコネクトツーより松山洋氏が登壇。創業38年のアトラスの歴史を振り返り、そこから生まれたアトラス、「ペルソナ」シリーズがゲーム作りで大事にしていること、価値観を紹介。また、世界累計2350万本を超えた「ペルソナ」シリーズがどういう考え方、施策をもってこれまで成長してきたのか、そして開発が長期化し変化し続けるゲーム業界の中で、これからどういう指揮をとっていくべきかが和田氏自身の経験、考えを中心に語られた。
アトラスという会社の激動の歴史を振り返る
和田氏は、1998年11月にアトラスにデザイナーとして中途入社。2005年発売の「ペルソナ3」以降デザインディレクターとなり、その後ディレクター、プロデューサーを経て、現在「ペルソナ」チーム(第二プロダクション)の統括をしている。

アトラスは、1986年に設立。そして2010年に会社としては一度消滅をしたのだが、2014年にセガの子会社として復活した。今年ブランド35周年を迎えるゲームメーカーだ。
「真・女神転生」など神や悪魔を召喚して戦うダークな世界観のRPGで名を馳せたゲーム会社で、古くは「プリント倶楽部」のヒットでも知られている。現在、「ペルソナ」シリーズ、「真・女神転生」シリーズを中心に良質なRPGを作るメーカーである。直近では、2024年10月に「メタファー:リファンタジオ」を発売。こちらは第三プロダクションが開発を行っている。

本稿で中心となる「ペルソナ」シリーズは、1996年に「女神異聞録ペルソナ」を発売して以来、現在スピンオフを含めて、累計販売本数2350万本のアトラスを代表するRPGシリーズ。特に「ペルソナ3」以降、海外での認知度が高まって、「ペルソナ5」で爆発的な人気を獲得。“ペルソナ”と呼ばれる心の力を召喚して戦う高校生たちが、様々な怪異に立ち向かう中で、仲間や社会との絆、そして自らの成長を掴み取っていく物語となっている。

ここからはアトラスという会社の激動の歴史を振り返っていくことに。1986年にアトラスが設立され、その翌年「デジタルデビル物語 女神転生」が発売された。この頃、アトラスはデベロッパーで、パブリッシャーはナムコだったが、その後に発売された「パズルボーイ」はアトラス初のパブリッシャータイトルとなった。ブランドの35周年はここから始まったのだ。
1992年には「真・女神転生」が発売。和田氏は当時ゲームショップで「真・女神転生」のパッケージを見かけ、それがあまりにもかっこよくて一目惚れしてしまい、購入してプレイしたところ、「真・女神転生」の世界観に深くはまりこんでしまったそうだ。「このタイトルで本当にアトラスというメーカーを意識し始めた」と振り返った。
1995年に「プリント倶楽部」(「プリクラ」)が発売。当時社会現象にもなり、大ブームを巻き起こした「プリクラ」。この後、さまざまなメーカーからプリクラ機みたいなものが開発・発売されたのだが、アトラスはなんと「プリクラ」の特許を取っていなかった。「この時にきちんと特許を取っていれば、アトラスの未来は違っていた」と和田氏と松山氏は当時を振り返って笑っていた。
翌年の1996年にはシリーズ1作目の「女神異聞録ペルソナ」が発売され、和田氏は1998年にアトラスに中途入社。ちなみに和田氏は当時ゲーム業界を目指してはいたものの、ゲーム業界とは全く関係のない仕事をしていたそうだ。この1990年代後半は特にゲーム会社への就職は激戦となっており、なかなか望むところに入れなかった和田氏は、1998年に念願かなってアトラスに入ることができたという。
アトラスでの初仕事はドリームキャストの「魔剣X」で、イベントに関わるアセット全部を担当していた。和田氏は美大や専門学校も経験していなかったため、入社してからツールの勉強をしたという。今ではなかなか考えられない経歴だ。
1999年には「ペルソナ2 罪」、その後2000年に「ペルソナ2 罰」が発売されたが、アトラスという会社としては角川書店と資本提携をするなど、変化が訪れ始めていた。
2003年に「真・女神転生III -NOCTURNE」が発売されたが、和田氏は「そもそもこのシリーズが好きでアトラスに入社したので、かなりグッときた」とのこと。和田氏はモデルやモーション、背景、イベントに関わるアセットなどのほぼ全てを作ったりしていた。また、この頃は販促用のプロモーションビデオ(PV)も開発者が作っていたため、PVの制作なども行っていたという。
「仕事は非常に楽しかった」と語る和田氏だが、会社としてはこの時タカラの子会社となるなど、更なる転機が訪れていた。「わけがわからない」という松山氏だったが、和田氏によればゲーム業界は1997年をピークに下り坂になっていき、アトラスは発売したソフトの評価こそ良かったもののその影響を完全に食らってしまい、厳しい状況だったのだという。
2004年には、「女神転生」シリーズの派生作品となる「DIGITAL DEVIL SAGA アバタール・チューナー」が発売されるが、売り上げ的には芳しくなかった。開発部は東京・東新宿へと移転。
アトラスはこの頃、希望退職者を募るところまで追い込まれており、社員がどんどん辞めていくという負のスパイラルに陥っていたが、和田氏はこの頃既に「ペルソナ3」の開発に着手。開発時から手応えを感じていたため、希望を持って働いていたそうだ。
そして2006年にはついに「ペルソナ3」が発売され、その後も「ペルソナ3フェス」、「ペルソナ4」、「ペルソナ3 ポータブル」と立て続けに発売。その間で2006年にインデックスの子会社となったアトラスだったが、ゲーム自体は順調に業績を上げていき、開発部は飯田橋へと移転。
2009年には、サイバーコネクトツー(CC2)と博多で技術交流を行ったそう。当時の「ペルソナ」チーム25人ほどで東京から福岡まで訪れ、CC2の「.hack//G.U.」の話と「ペルソナ」の話をお互いにしながら行った勉強会で、この頃は業績も良く、アトラスの社員も順調に仕事を進めていたものの、2010年にアトラスは親会社のインデックスによる吸収合併により、消滅してしまったのだ。
「アトラス」ブランドとしては継続していたものの、この出来事は本当にショックだったという和田氏。この出来事により、アトラスはインデックスのある三軒茶屋へと移転した。
ブランドとしてのアトラスは、「キャサリン」、「ペルソナ4 ザ・ゴールデン」、「ペルソナ4 ジ・アルティメット イン マヨナカアリーナ」などタイトルを重ねていき、調子も良かったのだが、親会社のインデックスが債務超過に陥り、2013年には民事再生手続になってしまう。
この事件は、当時を知っているファンならばさぞかし驚いたはずだ。特にこの頃は「ペルソナ4」のテレビアニメが爆発的なヒットをし、ファンも鰻上りで増えていった時期だっただけに、これだけ上り調子なのに会社が終わってしまうということが有り得るのだろうか、とファンも業界も騒然となった出来事だった。
しかし、ここで大きな転機が訪れる。2014年、アトラスはセガの子会社となり、そしてアトラスは会社として復活したのだ。ここからは最近のファンも知っている通り、セガグループとして、アトラスは活躍していくことになる。

2016年には、世界的な大ヒットとなった「ペルソナ5」を発売。2017年には九州で開催された「CEDEC+KYUSHU 2017」に初参加。会社はセガのある大崎へと移転し、のびのびと開発ができるようになり、優秀な人材も増え、そして「最近になってようやくセガーグループの中での立ち位置も見えてきた」と、和田氏は述べた。

以上がアトラスのこれまでの歴史となるが、アトラスがここまでやってこられたのは、不況の中でもアトラスのブランド価値を高めていくことができ、会社の状態が悪くても開発部として実直に開発を行ってきたことがあるのだろう、と和田氏。
特に転換点となった「ペルソナ3」の開発以降、作るゲームに手応えを感じており、だからこそ会社がどうにかなっても何とかなるのではないかという、根拠のない空気が流れていたそうだ。
「ペルソナ3」にて、タイトルで重視する価値観をアップデートできたため、インデックスが危地へと陥った時も会社を辞める人はほとんどいなかったという。

「ペルソナ3」以前のアトラスの価値観は、「ONLY ONE」。それは例えば、インパクトや、サブカルといったプロダクトアウト的思考で、好きな人は好きだけれど、興味がない人は興味を持ってもらえない。王道とは言えないゲームだった。
「ペルソナ3」以降の価値観は、「UNIQUE&UNIVERSAL」。つまり、独創と共感。ユニーク=オンリーワン=独創性であり、そこはきちんと保ちつつ、ユーザーが共感できるもの、楽しんでもらえるものを考えて作ろう、というのが違っている。
ユニバーサルをもう少しアトラスらしい言葉で説明するならば、「猛毒を甘い衣で包んで、たくさんのお客さんに食べていただく」ことであると、和田氏。「猛毒の部分はきちんと貫きたい」とも語った。
それは例えば刺激が強すぎたり、忘れられない体験を、おしゃれ感や、かっこよさ、キャラの魅力で包んで食べやすくして、たくさんのユーザーに食べてもらうということのようだ。


この「UNIQUE&UNIVERSAL」であるためには、まず間違いなく面白いゲームであるということは第一条件で、加えてお客さんの目に留まり、手に取ってもらえるようなアイデアを開発段階から設計して、ゲームに組み込んでいくのが重要となるのだそう。

「ペルソナ」シリーズの歩みを振り返る
ここからは「ペルソナ」シリーズにより焦点を当てていく。「ペルソナ」シリーズの累計販売本数の推移のグラフを見ていくと、右肩上がりで伸びているのがわかる。

ぐんと伸びているタイミングはいくつかあるが、特に注目したいのは売上が倍増している2020年から2024年の5年間だ。タイミングとしては「ペルソナ5 ザ・ロイヤル」が発売された翌年で、この頃に何があったかというと「ペルソナ5 ザ・ロイヤル」の海外版が出た年だったのだ。
アトラスはこの頃はまだ海外版と国内版を同時発売できていなかったが、「ペルソナ4 ザ・ゴールデン」を初めてSteamで全世界同時発売した年でもあり、さらにコロナによる巣ごもり需要もあった。

他にも、地道に行ってきたメディア戦略もある。第一弾は「PERSONA -trinity soul-」という「ペルソナ3」の世界から10年後を描いたオリジナルストーリーのTVアニメで、そのあとは大ヒットとなった「ペルソナ4」のTVアニメ、「ペルソナ4 ザ・ゴールデン」のTVアニメ、それと共に劇場版の「ペルソナ3」も動かしており、さらに音楽LIVEは最初の赤坂BLITZを皮切りに、国際フォーラムや日本武道館、横浜アリーナ、両国国技館、幕張メッセなどの国内公演の他、先日は初の海外公演として台湾公演を成功させた。さらに2.5次元のステージにも力を入れており、「ペルソナ4」や「ペルソナ3」、「ペルソナ5」などの舞台を展開してきている。このようにさまざまな要素も交えつつ、エンターテイメントの質を上げていった。

改めて「ペルソナ5 ザ・ロイヤル」の成長ポイントをまとめると、まずは「UNIQUE&UNIVERSAL」なゲームであったということが挙げられる。また、リマスター戦略におけるマルチ化により、これまで「ペルソナ」シリーズが積極的に発売していなかった、PC、Switch、Xboxへと売り場を拡大していった。日本語英語ボイスと共に15言語同時発売を実現した点にも触れた。
そしてもうひとつ大きな転換点となったのは、動画配信のガイドラインの変更だった。これまでアトラスのタイトルは購入していただいたユーザーを大事にしたいため、ネタバレに関してかなり厳しめだったのだが、時勢の変化もあり、規制を緩和したことによって認知拡大効果が大きくアップした。
また、アプリコラボはかなり積極的に展開。「グランブルーファンタジー」などとのコラボを始め、2016年から今まで30タイトルほどとコラボを行った。「やるなら徹底的に」ということで、「ペルソナ」というワードが目や耳に入るような状況を作れるよう励んだという。


和田氏がIPプロデュースにて大事だと思っていることは、開発展開のストーリーを描くこと、そして一貫性と柔軟性だという。そのほか、IP品質の保持と拡大のバランスや、力学で状況をイメージすることも重要だとした。

和田氏は、「ペルソナ」の開発体制に分岐点は大きく分けてふたつあり、開発するタイトルの価値観の分岐点を「ペルソナ3」、開発体制と開発環境の分岐点となったのを「ペルソナ5」、「ペルソナ3 リロード」とした。
その上で、今「ペルソナ」シリーズの制作に起きている大きな変化として、ゲーム開発の大規模化、制作費の高騰、開発期間の長期化、目指すゲームのハードルの高さ、進行管理の高難度化、働き方の超ホワイト化などを挙げた。

その上で「ペルソナ」シリーズの開発を持続可能にするためには、「UNIQUE&UNIVERSAL」なユーザーの期待に応えるゲームであることを守りつつ、開発の効率化や挑戦する意思を失わないこと、トップダウンからボトムアップ組織への移行が必要だとした。

最後に和田氏へのQ&Aコーナーで、和田氏が自身のプロデューサーとしてのスキルをどのように磨いていったのか、「ペルソナ」シリーズでリズムアクションや対戦格闘ゲームを制作していく時の苦労、男子学生を主人公で作ろうと思ったきっかけなどについて、それぞれで自身の考えを述べた。そしてゲーム業界で生きていく上で変化を楽しむこと……と言いつつも現在のゲーム制作は楽しむ難易度が上がっていること、だからこそゲームはもっと評価されるべきと話し、セッションを締めくくった。


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