ソニー・コンピュータエンタテインメントジャパンアジアが本日8月11日に配信するPS4ダウンロードソフト「Everybody’s Gone to the Rapture -幸福な消失-」のプレイインプレッションをお届け。
ゲームスタジオ「The Chinese Room」は、荒れ果てた孤島を舞台にしたアドベンチャーゲーム「Dear Esther」で全世界のさまざまなアワードを受賞し、新機軸のADVの形を提言してきた。
そして本日、同スタジオの手掛ける最新作「Everybody's Gone to the Rapture -幸福な消失-」が、PS Storeにて配信日を迎えることに。
本作「Everybody's Gone to the Rapture -幸福な消失-」の舞台は1984年。同年6月6日6時37分のこと、イギリス・シュロップシャーにある農村「ヨートン」から突如、全ての住民や滞在者たちがその姿を消した。唯一その村に残っているのは、消えた人々の“想い”だけ。
本作におけるプレイヤーの目的は、ヨートンの村を散策し、残された人々の想いの残滓を見つけ、「どうして住人たちがいなくなったのか…?」という謎を自身の目で追体験しながら、“世界の終わり”の真相をたった一人で解き明かしていくことだ。
美しく設計された欧風の街並みも、広大な自然が広がる長閑な風景も、決してスペクタルとは言えない。しかし、消えた人々の残滓が語る内容は、それほど平穏無事な世界ではないようで…?
美しい世界に彩られた、美しくない人々
ゲーム中、プレイヤーは一人称視点で動きながらヨートンの村を調査していく。プレイヤーのアクションは主に3つで、左スティックで移動、右スティックで視点変更、○ボタンで探索/インタラクトと、シンプルな構成。
広大で美麗なオープンワールドを縦横無尽に闊歩するアクションRPGに慣れた身には、新鮮でありつつもちょっと心許ない。また、移動速度も“歩くくらいの早さ”に収められているため、広々とした空間を移動するには、少しばかりスローペースに感じてしまう。
がしかし、この「必要最低限の操作」と「フットワークの速度」は、プレイを開始してから僅かな時間で、絶妙な設計であると考えさせてくれる。アクションおよび操作面に余計な雑味が加えられていないからこそ、3D空間を満喫できるインタラクティブな体験と、アドベンチャーゲームとしてのシンプルなコンセプトが一層引き立つのだ。
村の中は上述したように、とても閑静なものである。空気中を舞う埃と差し込む光がとても叙情的。荘厳でありつつ物哀しさを感じさせるBGMを背景に、木々を揺らす風の音や、足元に生い茂る青草を踏みしめる音が、プレイヤーの孤独な世界を彩る。臨場感をかきたてると同時に、無機質な村の寂しさを覚えさせられるが。
村の中は、美しい自然の風景に目を惹かれつつも、家々の内外はつい先程までその場に住人がいたかのように、生活感が生々しく取り残されている。いわゆる“ゲーム的なロケーション”という枠にも留められないほど、目にする光景はあまりに不自然だ。
筆者はゲームを始める前、サブタイトルの「幸福な消失」という語から、心温まるホンワカなストーリーを予想していたのだが……物語が展開する前に気付いてしまった。違うのかもしれないと。
誰もいないヨートンでプレイヤーが最初に見つけるのは、街灯の光を切り取ったかのような…端的に言えばエクトプラズムのような物体。これが“想い”である。想いに近付いてみると、第4の操作として「DUALSHOCK 4」のモーションセンサーを利用した、画面に向かってコントローラーを左右に傾ける操作が指示される。
アナウンスに従ってコントローラーを傾けてみると、想いは周囲の光を吸収しながら弾けた。すると、幾本もの光が幾何学的に飛び回り、人を模した姿を取る。まるでレコーダーのようなそれは、在りしの日常を切り取ったかのように、その場所で行われた住人たちの一場面を再演する。
薄っすらぼやけた姿ながら、身振り手振りの会話(日本語音声および字幕に対応)を眺めていると、何のことはない。ただの世間話のようだ。そのまま会話劇が一区切りつけられると、想いは霧散し、誰もいない、何もない、元の光景へと戻っていく。
つまるところ、本作ではこのさまざま住人たちの想いを見届けていくことで、エピソードを繋ぎ合わせ、消失に至った原因に迫っていけるのだ。
序盤は上にいる「スティーブン」という男性が話題の中心となり、色々な想いたちの会話を見聞きしながら、自身の中で物語を紡いでいく。しかし、彼ら彼女らが話す事柄はいまいちピントが合っておらず、何かが起きていることはハッキリと分かるのに、具体的なことは殆ど分からない。住人たちも最初の内は“何が何なのか”を分かっていないようだ。
ただそんな状況だからか、平穏に見える街並みに反して、想いから聞こえてくる会話はあまりに剣呑だ。他人を事件の槍玉に挙げる人や、人種や出身などを根底に据えて排他的な考えの人もいれば、不倫や不仲といった人間関係をまきちらす人も中にはいる。所々漏れ出てくる物騒なキーワードが、プレイヤーの好奇心をくすぐってくるのもニクい。
ただし、本作には「再度想いを読む」「メモをする」「任意セーブ」など、ADVとしての利便性を感じさせるシステムは備わっていない。だからこそ、各々の想いを流し気味に見てしまうと、徐々に会話が散文的に見えてきて、物語への理解が離れやすいゲームであることも確かだ。
「見直す」「やり直す」といった手段が取れず、没入していない時のプレイングに対してはフォローが効き辛い。「該当地に行ってエピソードを見る」ことのみに集約されているからこそ、その大切な部分により着目できる仕掛けなのだろうが…ある種、プレイングに対する姿勢が問われる。
そんなところで筆者からのオススメは“メモを取ること”。プレイ時間が大変長いゲームという訳でもなく、次世代機の筆頭たるPS4に対しては随分とアナログ的な手法だが、「私はプレイ中、一息に全部を覚えて、全ての物事を繋げて、終わりまで突っ走れます!」な気概でもない限り、軽ーく見て聞くだけのプレイに対する敷居はちょっとお高め。
プロフィールまでとは言わず、せめて人物名、付け加えて一言コメントでも記しておいて、さらに矢印で人物相関図でも描いたものなら、後々の振り返りや考察に役立つことだろう。人間味溢れる登場人物たちを、結末を知るためだけの装置とみなしてしまうのは、言わずもがなで勿体ない。
ちなみに、物語の進行はチャプターごとに各登場人物がフィーチャーされる仕組みで、一定の区切りごとに対象が切り替わっていく形式が取り入れられている。
なお、本作はストーリーを進めること自体は複雑ではなく、何々をしなければいけないといったギミックにも出会わない。村の中にはプレイヤーの行き先を導いてくれる、一際大きな想いが右往左往しているので、物語を進めたい時はそれに従って進めばいい。動き自体が結構気まぐれなので、最初の内に法則に慣れておくともっと便利。とどのつまり基本は一本道のゲームだ。
しかし、広大なヨートンの村の中は、結構色々な場所に足を運べてしまう。ちょっとした家屋や倉庫のような場所にも想いは存在し、これらは近くに足を運ぶだけで自動的に会話劇が再生される。いわゆるサブイベント的なものだ。中にはテレビやテープレコーダーにアクセスすることで、世界観の一端を見つけることもできる。
それらの会話にどれだけの意味があるのかは分からない。何気ない会話に出てきた人物が、後の展開に繋がっているかもしれないし、意味はないのかもしれない。網羅的に収集することが物語の追求になることは確かだが、先述したようにプレイヤーのフットワークはゆっくりとしたもの。
結果、目に見えるもの全てに興味を湧きたてながら没入できる人と、作業と捉えてストレスを覚えてしまう人がはっきり分かれてしまうかも。これはゲーム性の良し悪しというより、個々人がゲームコンセプトに合うか合わないかに寄る部分なので、各々で考えていくべきか。
物語の本筋を記すのも無粋だが、濁してばかりなのもアレだし、何がどうなっているのかをせめて一片くらいは伝えなければ申し訳ないので、今回はこんなスクリーンショットもとってきた。
…ちょー怖い。パッと見はパニックかサスペンスかの展開を考慮せざるを得ない。想いを手繰りつつ、このようなさまざまなロケーションに足を運ぶことで、少しずつ、少しずつ、話のディティールが浮かび上がってくるので、これらがどういう意味を成しているのかは、想像してもらうか、もしくはプレイしてもらうかで対応してもらいたい。
また、個人的に小さな恐怖感を植えつけられたのが、「振り向くとオブジェクトが動く現象」。ゲーム中は風に揺られて動く木々や花々、波紋の綺麗な水辺のほかに、視界に入るとオブジェクトが動き出すギミックが取り入れられている。180度ほど回頭すると発揮されるこのギミックの怖いところは、まるで“そこにいた誰かが急に消えたように見える”ことにある。
何気なくプレイしている時は気付かないのだが、ちょっとした違和感にふと気付いてしまうと、こちらが振り向くまで、謎の存在がこちらを見ていて、すぐさま姿を消した、そんな風に感じてしまう。ホラー要素を念頭においたものではないのだろうが、なんかこう、ゾワゾワっとする時がある。
直接的な怖さではなく、ホラー映画を見た後、自分の背後がやたら気になる現象に近しい作用だ。
物語が進むと、辺り一面が夜になることも。夜間は流石農村とでもいうべきか、人工的な光はほとんど見られない。しかし、数えきれないほどの星と、幻想的な光の球が行く道を照らしてくれる。しかし、赤く染まった空を綺麗と感じるか、不気味と感じるかは人それぞれだろうか?
また、プレイヤーはアクションに優れた身ではないものの、昇降するための器具さえあれば高低差を進むこともできる。おそらく重要な秘密などは隠されていないだろうが、イースター・エッグが好きな人は冒険家になってしまってもいいかもしれない。
平凡な人々を襲った“悲劇”の真実
正直なところ、「Everybody's Gone to the Rapture -幸福な消失-」はこのご時世にあって、人を選ぶゲームであることは確かだ。一目で分かりやすい爽快なアクションがあるわけでもなく、謎解きギミックに頭を悩ますこともない。美少女どころかそもそも顔の分かる人物すらも存在しないため、濃いめの味付けに慣れ親しんでいる人には手に取り辛いかも。
物語の内容についても、刺激的で好奇心の湧くポイントがあることは確かだが、住人たちの人間性も物語の運びも文芸作品に近しいものだ。分かりやすいキーワードだけを抽出していても、オムニバスのように断続するエピソードを一つの話にまとめるのは中々に知的な作業となる。
しかし、「話を見るだけなら映画や小説でいい」という次元は分かりやすく、ハッキリと飛び越えてきている。ゲームであるからこそ、3D空間の奥行きから動的な体験を得ることができ、能動的にプレイを楽しむことができる、そのことがマジマジと感じられる。
当たり前といえば当たり前な注釈ではあるものの、本作は無駄を省いて研ぎ澄まされているからこそ、そのコンセプトがアドベンチャーゲームとしてより映えている。結果的にそれがユニークさ、斬新さに繋がっているのだから、センスが良いとしか言いようがない。
ゲームの価格はお手頃な2,000円。プレイしてすぐに分かる“新感覚のアドベンチャー”を体験する機会としても、夏休みの余り気味な時間の使い道としても、もってこいといえるだろう。
最後にヨートンのお気に入りポイントをいくつか紹介!
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