2020年6月19日にソニー・インタラクティブエンタテインメントよりPS4用ソフト「The Last of Us Part II」が発売されるのに先駆け、前作「The Last of Us」の魅力と、「Part II」の注目ポイントを紹介していく。
7年前の作品ながら、なおも最高クラスのグラフィック
「The Last of Us」は2013年6月にPS3版、2014年8月にPS4版(リマスター版)がリリース。様々なゲームメディアが選ぶ、その年の最高のゲームである2013年の「ゲーム・オブ・ザ・イヤー」(GOTY)に、あの「グランド・セフト・オートV」を抑えてもっとも多くのメディアから選出され、全世界でのPS3/PS4版の累計セールスは1,700万(2018年6月時点)に達しているという、名実ともに「傑作」と呼ばれるにふさわしい大ヒットを記録したタイトルだ。
「The Last of Us」の開発を担当するノーティードッグは、古くは「クラッシュ・バンディクー」(PS)、「ジャック×ダクスター」(PS2)を手掛ける老舗デベロッパー。PS3時代にはそれまでの開発タイトルとはまったく作風の異なる、名作冒険映画へのリスペクトが込められたアクションアドベンチャー「アンチャーテッド」シリーズでも大ヒットを飛ばし、勢いそのままに「The Last of Us」の大成功へとつながっていく。
本作を語る上で何よりも欠かせないのが、美しいグラフィックと、プレイヤーの没入感を極限まで高める映画的な演出だ。これは「アンチャーテッド」シリーズとも共通した部分であり、ノーティードッグの強みがそのまま反映されている。
今回の記事を執筆するにあたり改めてPS4版をプレイしてみたのだが、キャラクターのモデルにアニメーションの滑らかさ、風景の美しさと、再度そのビジュアルに圧倒された。オリジナル版は7年も前、それも前世代であるPS3で発売されたタイトルであるにも関わらず、昨今発売されるAAAクラスのタイトルと比べても見劣りしない。「The Last of Us」はPS4発売の少し前にリリースされているので、最初からPS4での展開も想定してオーバースペック気味の開発を行っていた可能性は高いが、いかに本作のクオリティが突出していたのかがよく分かる。
一方、「アンチャーテッド」シリーズと大きな違いとなるのが、作品に漂う雰囲気だ。「アンチャーテッド」は、トレジャーハンターの主人公・ネイトが、様々な秘宝を求めて古代遺跡を舞台とした、「インディ・ジョーンズ」などの海外の冒険映画の影響を色濃く受けたタイトル。ネイトと相棒のサリーが交わす小気味いいジョーク合戦も恒例で、お宝を狙う敵もわかりやすい悪党が多く、全体的に明るくコミカルな空気感が漂っていた。
対する「The Last of Us」は、寄生菌によって滅亡の危機に瀕したアメリカが舞台。「サバイバルアクション」というジャンルが示す通り、極限状態におかれた人間達のドラマを描いているため、ストーリーもシリアス度が高め。加えて、主人公であるジョエルと、パートナーの少女・エリーの擬似親子的な関係性に焦点が当てられており、エンターテイメント性だけではなく、テーマ性も非常に高い作品となっている。ストーリー的な意味でも、「アンチャーテッド」とは方向性が違いつつも、共に「映画的なゲーム」だと言えるだろう。
また本作が秀逸なのは、作中のジョエルだけではなくプレイヤー自身も、エリーに対して思い入れが強くなるような導線がゲームプレイも張り巡らされていること。
ジョエルは、ウィルスに対する抗体をもっている可能性のあるエリーを、専門の研究施設へと連れて行くため旅をすることになるが、行動を共にし始めるようになったばかりの頃のエリーは戦闘になると何もできない、ただ守られるだけの存在だ。しかし旅をしていく内に、行く手を塞ぐギミックを解除する手助けをしてくれたり、ジョエルがピンチになると敵を攻撃して助けてくれたり、銃で戦闘を援護してくれたりと、どんどん頼もしい相棒となっていく。
というのも、実はエリーは、父の背中を見る娘のように、プレイヤー(ジョエル)の行動を学習しており、それを反映した行動を取るようになる。プレイヤーのスタイルにあった行動をエリーが自然と取ってくれるため、プレイヤー自身のエリーに対する感情も高まっていく。ストーリーの終盤には、ジョエルはある重大な決断を下すことになるのだが、これはプレイヤーがエリーへの思い入れが高まっているからこそ共感できる展開となっている。
先程は「映画的なゲーム」という言葉を使ったが、「The Last of Us」ではただ映画の演出やシナリオを模倣するのではなく、ゲームでしかできない表現を前提に、一貫性のあるゲームデザインがなされている。これらの要素がハイレベルにまとまっているのが「The Last of Us」が、「傑作」と呼ばれる理由とも言えるだろう。
自由度の高い攻略が可能なアクションパート
「The Last of Us」は、ストーリー面の比重が高いゲームではあるのだが、アクション面の完成度も非常に優れている。
本作はいわゆる銃を主軸に戦う「TPS」と呼ばれるジャンルのゲームにあたるが、銃弾を含め、素手以外の武器はほぼすべてマップ内で拾ったり、素材から工作(アイテム作成)で入手する有限のリソースとなっているため、考えなしに銃を撃ちまくっていると、肝心な時に武器がなくなってしまうという事態にもなりかねない(とはいっても、強制戦闘が起こる場合は必ず銃弾が置かれていたり、ゴリ押しで突破してきた場合でも、いわゆる“詰み”になる状況が発生しないよう、きちんと配慮されているが)。
そのため、いかに敵に見つからないように進むかが重要になる。ストーリーを進めるだけなら、進路を妨害している必要最低限の敵だけを隠れながらステルスキルで排除し、極力敵と出会わないように進むのがもっとも楽なのだが、その場合はマップ内に存在する素材などのアイテムの回収が難しくなる。
じっくりとマップを探索したいプレイヤーは、敵をすべて排除する必要があるが、ステルスキルしようとしたところを見つかって戦闘に発展、結果的に探索で入手できた分以上のリソースを消費してしまった……ということも頻繁に起こる。敵は全体的に手強く、普段TPSをやっているプレイヤーでも気を抜けばすぐゲームオーバーになる作りなので、このせめぎあいも楽しい。マップの中には、敵の注意を引く空き缶が頻繁に落ちていたり、ナイフを使って即死させる(ナイフは耐久値があり、使用していくと壊れてしまう)か、時間がかかっても素手で絞め殺すかなどの選択肢もあり、ステルスプレイ要素はかなり作り込まれている。
ウィルスによって身体が変化した感染者(インフェクテッド)と、秩序と統制を失った人間いう、大きく性質が異なる2種類の敵が登場するのも特徴だ。
「サバイバルアクション」というジャンルにおいては、感染者との戦いがメインになると想像する人も多いかもしれないが、実は感染者との戦いの比率はそう高くない。「感染者」は、通常の人間を上回る身体能力に高い聴覚を得ており、一度捕まってしまうと即ゲームオーバーになる恐怖はあるのだが、反面視覚が非常に悪く、行動パターンも単純なため、ゲームに慣れていくほどさほど怖い相手ではなくなっていく(グロテスクな見た目からくる恐怖感は凄まじいが)。
一方で、本作に登場する人間の敵はかなり手強い。AIがかなり賢く、物陰に隠れながら進んでいても、視界に入った瞬間すぐに見つかって増援を呼ばれてしまう。またそれぞれの敵に驚くほど豊富な行動パターンが用意されており、一度ゲームオーバーになって再チャレンジした際、前回の敵の動きを頭に入れて進んだとしても、前回のプレイとまったく違う動きをとられて、結局見つかってやられてしまう……ということも珍しくない。おそらくプレイしたほとんどのプレイヤーが、「人間の方が感染者よりよほど厄介」だと感じたはずだ。
ただ面白いのは、人間と感染者もそれぞれ敵対しているということ。終盤のマップは、人間と感染者が同時に出現する場面がしばしばあたったのだが、その際には空き缶を人間の方に投げて感染者を焚きつけ、両者が争っている隙をついて先に進む……といった、かなり外道な立ち回りをすることも可能になっている。
ゲームの序盤は装備も少なく、選択肢も多くないのだが、ジョエルが成長して装備を入手していくにつれ、おびき寄せたところに爆弾でまとめて吹き飛ばしたり、ライフルで狙撃したり、地雷を仕掛けたりと、かなり幅広い戦い方ができるようになっていく。本作はいわゆるオープンワールドではなく、リニア方式とも呼ばれる、1つの道を進んでいくタイプに近いのだが、攻略の自由度は高めで、逃げてもよし隠れてもよし戦ってもよしと、様々なプレイスタイルが許容されているのも大きな魅力だ。
「Part II」では、あの衝撃のエンディングの5年後が描かれる
飛び抜けて美しいグラフィック、映画のように没入感のある演出、共感できるドラマ、自由度の高いバトルシステムと、「The Last of Us」はあらゆる点において完成度が高く、まさに万人に向けたエンターテインメントとして完成された作品だ。
ただ、本作がただの優等生的な作品に終わらなかったのは、エンディングにあると思っている。ここからは「The Last of Us」の結末について触れるので、ネタバレを読みたくない方は引き返すことをオススメする。
前述したように、「The Last of Us」ではジョエルとエリーが、長い旅を通して固い絆で結ばれていく過程が非常に丁寧に描かれる。最愛の娘サラを、パンデミックの混乱の最中に失ったジョエルに対し、早くから両親を亡くし、家族の愛を知らないまま育ったエリーは対照的な存在だ。
エリーが抗体を持っていることについて、ジョエルは半信半疑だったこともあり、当初は反発しあっていた。しかし、ジョエルの相棒であったテスの死、弟のトニーとの再会、旅の途中に出会った、サムとヘンリー兄弟との別れなど、様々な経験を経て、2人は互いをかけがえのない存在として感じていくようになっていく。
しかしその旅の果てにあったのは、エリーがもつ抗体からワクチンを作るには、エリー自身が死ぬ必要があるという残酷な事実。ジョエルは、人類を救うため手段を選ばないファイアフライと決別し、育ての親であるマーリーンすらも手にかけ、エリーを救出する。
意識を取り戻したあと、何があったのか問い詰めるエリーに対し、ジョエルは「ファイアフライはワクチンの研究を止めた」という嘘をついてしまう。ジョエルが嘘をついていると感づいたエリーは、「本当のことを言っていると誓って」とジョエルに迫る。これに対し、ジョエルはエリーへの嘘を突き通したまま、物語は幕を閉じることになる。
この結末には、度肝を抜かれたプレイヤーも少なくないだろう(筆者もその1人だった)。
ジョエルの言葉を嘘と理解しながら、受け入れたかのような態度を見せるエリーは、ジョエルの愛を理解し、2人で共に生きていこうと決めたとも取れるし、真実を口にしないジョエルに失望した、エリーの父親離れの決意とも取れる。かなりプレイヤーに解釈を委ねるタイプの結末となっている。
ただ一つ言えるのは、あの結末を受け入れる・受け入れないのどちらにせよ、その後の2人どうなるのかが、気になって仕方がないというプレイヤーは少なくないだろうということだ。
発売後には、エリーの視点で描かれる追加エピソード「Left Behind -残されたもの-」がDLCとして配信されたが、そちらはゲームのメインストーリーの空白期間と、エリーの過去を補完するような内容となっており、あのラストシーンの先の物語が描かれることはなかった。
そしてPS3版発売から約7年。ついに発売が迫りつつある「Part II」では、あのラストシーンから5年後の世界がついに描かれる。エリーとジョエルは、生存者達の集落となっていたジャクソン(トニーのダム)に身を寄せ、平穏な暮らしを送っている。19歳になったエリーは、同じジャクソンに住む仲間であるディーナとキスまで交わす間柄となっている一方、ジョエルとはギクシャクした関係になっていることが明かされている。
そんな幸せな生活を送っているエリーだが、「Part II」のストーリーのテーマは“復讐”となることが明言されている。幸せな日常は、ある事件によって終わりを告げ、エリーはその犯人を探して復讐の旅に出ることになるという。
これは、前作が人類を救うために旅をしていた(ジョエル自身は乗り気ではなかったが)ことを考えると非常に対照的だ。幸せな生活を過ごしていたはずのエリーが、なぜ復讐心に支配されることになるのか。その時、ジョエルは何をしているのか。あの2人の旅の果てに待ち受ける運命とは何なのか。前作をプレイしたなら、これを見届けない手はないだろう。
とはいっても前作のストーリーは、きっちり前作の中で完結しているため、ジョエルとエリーが辿った旅のおおまかなあらすじを知っていれば、「Part II」からでもプレイできるようになっていると思うのだが、やはり100%物語を楽しむには、前作をプレイするに越しておくことはない。プレイスタイルにもよるが、一周クリアまでなら15~20時間ほどで終わり、アクションが苦手なプレイヤー向けの難易度であるEASYも用意されている。何よりゲーム好きであれば、この傑作をプレイしないままにしておくのは、あまりにも勿体ない。
ゲームプレイ面の進化については、すでに掲載されている「Part II」の先行プレイレポートもチェックしていただきつつ、是非とも「Part II」の発売前に、一度「The Last of Us」をプレイしてみて欲しい。