フリューより2024年7月25日に発売されたPS5/PS4/Nintendo Switch用ソフト「REYNATIS/レナティス」のクリア後レビューをお届けする。
なお、プレイにはNintendo Switch版を使用しており、ボタンの説明及び文中のスクリーンショットについては、同機種に沿ったものとなっている。
本題に入る前に、フリューが繰り出すゲームについて簡単に前置きをさせてほしい。プリントシール(プリクラ)やキャラクタービジネス、カラーコンタクトといった若い層にリーチする幅広いサービスを取り扱いつつ、その中で異彩を放つのがコンシューマーゲーム事業。とりわけ版権タイトルを扱ったものではなく、フリューが企画から販売までを行う自社オリジナルタイトルに、筆者は以前から注目の眼差しを向けている。
その特徴は、かつての名作ゲームを手掛けたクリエイターを招聘しつつ、各タイトルのプロデューサーが打ち出すコンセプトや世界観を重視した、いわば「作家性」重視のタイトルがズラリと並ぶこと。
例えば、初期「ペルソナ」シリーズのシナリオを担当した里見直氏の紡ぐ物語に現実のボーカロイドやそれを取り巻く文化をミックスすることで新時代のジュブナイルを打ち立てた山中拓也氏の「Caligula -カリギュラ-」、「Kanon」などの泣きゲーの名手・久弥直樹氏がシナリオを担当した「CRYSTAR -クライスタ-」を皮切りに、エゴや生命倫理に関する一貫したテーマ性を内包する林風肖氏の「モナーク/Monark」「クライマキナ/CRYMACHINA」などが続く。
今回の「REYNATIS/レナティス」も、シナリオに「FFVII」の野島一成氏、音楽に「キングダム ハーツ」の下村陽子氏が集うなど、並々ならぬ本気度を感じさせる。また、本作プロデューサーの礒部たくみ氏は、作品のテーマとして「抑圧と開放」を挙げているが、この言葉はゲーム中のシステムとして織り込まれており、プレイヤーにもある程度の負荷を強いる強烈な個性となっていた。過去の名作のエッセンスを受け継ぎつつ、プロデューサーの思想がしっかりと刻印された、まさに「フリューらしい」ゲームの最新作が本作といえるだろう。
ここでは、そんな「REYNATIS/レナティス」の他社タイトルにはない“個性”の部分を中心に取り上げながら、本作を紐解いていきたい。肌に合うか合わないかが分かれやすい作品であるからこそ、購入の手助けになれば幸いだ。
「抑圧」だらけの魔法使いライフ
本作の舞台は、現代の渋谷。この世界では「魔法」を使える者とそうでない者がいて、魔法使いはまだ少数派であり、一般人からは危険視されている。魔法使いの世界も複雑で、魔法使いの仲間を増やすべく暗躍する「ギルド」という組織と、そのギルドと敵対し街中での魔法行為を取り締まる権力サイドの「M.E.A.」、その両方にも属さないノラの魔法使いを支援する「オウル」という小さなコミュニティが存在している。魔法使いは基本的には自らの素性を隠し一般社会に溶け込むか、M.E.A.の隊員(現実でいうところの警察官)として公的な後ろ盾を得るか、このどちらかの生き方を選ぶしかない、という“抑圧”が大前提にある。
それだけでなく、夜の渋谷には魔法使いやその家族をも襲うという「自警団」を名乗る危険集団や、違法薬物「ルブルム」の蔓延といった様々な問題が野放しとなっている。それらを取り締まるのがM.E.A.だが、M.E.A.に捕まると矯正施設に入れられる、一度でも要注意人物としてリストに載ると社会的信用を失いクレジットカードが作れない、などといった大小さまざまな制限を受けることになるため、魔法使いはM.E.A.を極端に恐れ、頼ることもままならないという側面もある。
魔法使いへの厳しい風当たりをプレイヤーに実感させるのが、「通報」と呼ばれるシステムだ。主人公たち魔法使いは普段の渋谷探索時、自警団やルブルム中毒者に絡まれ戦闘に発展するのが日常茶飯事だが、人前で魔法を使うと周囲の一般人に写真を撮られ“拡散”されてしまう。すると、その情報が作中SNSのトレンドとして出回り、それが極に達するとM.E.A.のエリート隊員が現れ、たいていの場合一撃でHPを0まで削られゲームオーバーとなる。
それを解消するためには、魔法使いの姿を周囲から隠してくれる「セーフスポット」に逃げ込むか、あるいは今いるエリアから脱出しなければならない。通報を受けている際は一般人との会話が制限されるためサブクエストの進行が止まってしまい、暴徒から一方的に絡まれたのにこちらが不利益を被るこのシステムは、プレイヤーにとっても不都合な縛りとしか言いようがない。
それを“あえて”実装し、作中の魔法使いに対する不当な扱いをゲーム的な制限をもってプレイヤーに体感させることこそ、フリューらしい「棘」の部分であると筆者は感じる。これを醍醐味として受け止められたら立派なフリューファンだが、ストレスを感じるのがおそらく大多数であり、本作を万人に薦めづらくする悩ましい要素となっている。
「最強の自分」を演出するアクションパート
本作の際立つ個性、すなわち「抑圧」とそこからの「解放」は戦闘においても重要な要素となっている。敵の魔法使いやモンスターとの戦闘では、自分の魔法使いとしての姿や武器を顕現させた「解放モード」にて、Yボタンでの通常攻撃やX/Aボタンに割り振った二つのスキル攻撃を織り交ぜて、敵にダメージを与えていく。ジャンプや移動速度も通常時より向上し、かなり快適にキャラクターを動かせるようになる。
解放モードでの攻撃はMPを消費するため、ずっと攻撃を続けることはできない。そのMPの回復手段とは、「抑圧モード」時に敵からの攻撃を受ける直前に画面がスローモーションになり、表示される魔法陣に従ってRボタン長押しによる目押しを成功させると発動する「回避吸収」である。この行動は攻撃の回避とMP回復がセットになったもので、大量のMPを取得しつつ敵の攻撃を“見切って”かわす演出そのものが格好良く、戦闘のスタイリッシュさをより強調するシステムとなっている。
抑圧モードは回避特化で一切の攻撃が不可能、解放モードは攻撃は可能だが抑圧時のスローモーション回避が発動しない(MP回復手段がない)ことで色分けされており、二つのモードはワンボタンで簡単に切り替え可能。チュートリアルを終えたばかりだと回避吸収→攻撃のルーティンになりがちだが、ゲームに慣れて敵の攻撃を見切れるようになると「バトル開始直後から解放モードで連撃を加え、敵の予備動作を見て抑圧モードに切り替え回避吸収を行い、回復したMPで再び解放モードへ移行」というテクニックも自然に繰り出せるようになる。
普段からアクションゲームに慣れ親しんだ人からすれば、敵の攻撃は「当たる前に回避する」が身体に染みついていると思われるが、本作は体感として「当たるまで待つ」くらいの余裕を意識すると、独特の回避システムも少しずつ馴染んでいく。攻撃と回避をメリハリよく切り分け、フードを被り無防備な姿をあえて晒すところから、相手の攻撃を見切って反撃に転じる。抑圧から解放という作品のテーマ、そして主人公の一人である霧積真凛がまとっている「中二病」心をくすぐるようなバトルは、プレイヤーのスキルが向上するほどにどんどん格好良さを増していく。
中二病、といえば「孤高」であることも条件に挙げられるだろうが、戦闘中はキャラクターの切り替えが可能で、かつ切り替え前のキャラクターはMPが尽きるまでは残って戦闘に参加してくれるため、二人の魔法使いで敵と相対することも攻略の重要な要素となっている。強力なボス敵との闘いでも、二人で連携すれば敵のHPゲージがゴリゴリ削れていくのは快感だ。切り替え時のボイスも組み合わせに応じて用意されているので、プレイアブルキャラクター6名への愛着も自然と芽生えてくる。
自ら“格好いい”を演出できる独特の戦闘システムは面白くもあるが、その新しさ故に洗練されきっていない印象も同時に受ける。例えば、敵の攻撃頻度によっては棒立ちでの待ち時間が発生したり、逆に攻撃が激しすぎると吸収回避のための目押しに集中できないといった、良くも悪くも敵の攻撃ありきな戦闘デザインならではの弱点の克服には至れていない。また、先述した「当たるまで待つ」姿勢がかえって意図せぬ被弾を招くこともあり、こんなはずでは、と落胆することもあるだろう。
とはいえ、回避と攻撃を忙しなく切り替えるバトルはプレイヤーの集中力を要する分、時折「ゾーン」に入ったような感覚をもたらし、四方八方から繰り出される攻撃を全てかわしてノーダメージで戦闘を終えた際の解放感は、どこか病みつきになってしまう不思議な魅力がある。レベルアップの頻度も高く、戦闘のご褒美や上達を実感しやすいのも嬉しいポイントだ。人を選ぶ面もあるが、アニメやゲームの主人公の「無双感」に浸ってみたいプレイヤーであれば、本作は違法薬物めいた中毒性を与えてくれる……かもしれない。
「しがらみ」だらけの世界を生きる私たちへ
先述の通り、本作のシナリオを手掛けるのは「ファイナルファンタジー」シリーズでおなじみの野島一成氏であり、本作の発売がニンテンドーダイレクトで発表された際にも大きく話題となったポイントである。
主人公・霧積真凛は九死に一生を得る体験の後に魔法に目覚め、魔法使いとなってしまったが故に様々な抑圧を受けていると感じており、大学を休学して他人と距離を取り生きる19歳の大学生だ。彼は父の遺した言葉を頼りに「最強の魔法使い」になることを目指しており、そうすれば今の人生から解放されると信じて、夜の渋谷の街を独り歩いている。
もう一人の主人公である西島佐理は、今はM.E.A.に属しており、女性が活躍する組織であるとアピールする広告塔として扱われ、その一方で思うような活動が出来ないことに抑圧を感じている。彼女は自らが信ずる正義を成したいという強い想いと、それを抱くに至った悲しき過去があり、組織が彼女にとっての枷となる現実の中で、なんとかベストを尽くそうとしている。
最強を目指し一人で行動していた真凛だったが、目黒仁香、深町最愛と出会い交流を深めていく中で、二人の少女も他人に打ち明けがたい秘密や、譲れない信条を抱いていることを知る。佐理も、同じ班に所属する鵜飼貴一郎、土合正義との三人チームで任務にあたっていき、渋谷の街の暗部や、組織の闇へと視野を向けていく。
物語は、この二人の主人公の視点を交互に描き、そしてとある事件をきっかけに交差して、やがて六人の魔法使いがこの世すべての魔法使いに関わる壮大な出来事に直面する様子を描いていく。抑圧された人生からの解放を目指す真凛と、魔法使いを取り巻く破滅の連鎖を断ち切りたいと願う佐理。その行いを見守っていくにつれ、プレイヤーには本作における渋谷の街での生きづらさが心に刻まれていくことだろう。
もし魔法使いになれたら、という空想は多くの人が一度は経験があるだろうし、それはおそらくポジティブな内容のはずだ。目当ての場所に一瞬で移動できたら、掃除道具を操って面倒な家事を自動化できたら……等々、魔法は本来なら「希望」であってほしいものだ。
ところが、先述した通り、魔法使いは未だ少数派で、彼らは周囲からの差別や迫害に耐えながら生きており、本当の自分をさらけ出すこともままならないのが現状だ。その上さらに魔法使いの中でも、先天的に能力を持つ者と後天的に魔法に目覚めた者とでは能力に格差が生じ、ギルド上層部は古くからの家柄や血筋によるヒエラルキーが今でも幅を利かせている。道中で受けることが出来るサブクエストは、そうした日々のストレスから道を外れてしまった魔法使いが多く登場し、プレイヤーは主人公を通じて彼らに引導を渡していくことになる。
魔法を持ってしまったが故に、あるいは知ってしまったが故に、それまでの人生を壊され、幸せに生きる全うな権利を失った者が大勢いる。それが作中の渋谷のリアルらしい。そんな現実の中で、真凛が目指す「最強」とは何なのか、という問いが幾度となく浮上することになる。
例えば、力や能力に最も長けた状態は「最強」と言えるだろう。たとえ誰に迫害を受けようと、力でそれを抑え込むことができれば、その人は自由になれる。ただ、全てを力でねじ伏せるような生き方を続けていれば、その人は強くなれるのだろうか。より強い力の持ち主が現れたら? もしくは、力そのものを失ってしまうとしたら……?
その答えは、メインシナリオはもちろん、サブクエストや仲間とのメッセージアプリを介した会話の中に詰まっている。我々が生きるこの世界同様に、あるいはより過激に可視化されたしがらみだらけのこの世界で、自由に生きるということはどういうことか。それを果たすための「最強」とは何か。真凛は、最後に何を得るのか。この先は、どうかご自身の目で確かめてほしい。
まとめると、「REYNATIS/レナティス」は描きたい世界観やテーマを伝えるために、プレイヤーに理不尽な制限を課すことも辞さなかった、かなり挑戦的なタイトルである。任天堂の「スーパーマリオブラザーズワンダー」がゲームオーバーのペナルティを軽くしたことを思えば、プレイヤーにストレスを与えかねない仕様はもはや時代遅れなのでは、とさえ感じかねない中、磯部氏はあえてそれを実装した。独特なアクションパートの内容と併せて、本作を万人向けのゲームと紹介するのは、どうしても気が引けてしまう。
だが、そういった批判を受けることも意図しての作風であることは、先日掲載された対談記事でも磯部Pが語られていた通りである。
やはり万人向けではなく尖った部分ではありつつも、ユーザーさんに対して1つピンポイントの部分で共感してもらえるような、心に残るようなテーマ性やコンセプトを掲げて、それを中心に世界観を広げているところは共通項としてあるのかなって思います。
ゲームとして荒削りな部分も多々見受けられるが、「REYNATIS/レナティス」が内包する「共感」の要素こそ、筆者のようなフリューゲーム好事家が心を掴まれ続けているポイントであり、「人を選ぶが刺されば深い」からこそ、おそらく少数であろう本作のようなゲームが刺さる人に届きますようにと、こうしてキーボードを叩いている。
主人公の真凛は魔法使いではあれど彼も19歳の大学生(休学中)だし、佐理もまた個人の能力よりも「女性であること」を組織内で買われている自覚を抱いている。若さ故の鬱屈、性別から期待される役割と、この二人を例にしても現代的かつ普遍的な悩みをベースに登場人物の内面を作り上げている印象を受ける。そして、キャラクターの数だけ抑圧や悩み、自由への渇望があるということは、日頃たくさんの生きづらさを感じている人であれば、きっと誰かに共感できる、ということでもある。
ゲームや映画、アニメなどで登場人物の悲しみや苦しみに感情移入し、まるで自分事のように胸を痛めてしまう、感受性が豊かで優しい人ほど、「REYNATIS/レナティス」は深く深く刺さるゲームのように思える。そして、そこからの「解放」についても、本作はある一つの答えを提示してくれる。それが希望となり得る人がいるのなら、「REYNATIS/レナティス」のような尖った作品もこの世界に必要だと、そう思えるのだ。
発売から本稿掲載まで時間が経ってしまったが、既報の通り「REYNATIS/レナティス」は今後も無料アップデートにて9つのシナリオが追加される予定となっている。そして、普遍的な問題を扱っている以上、本作のテーマ性やシナリオが消費期限を過ぎることはないだろう。この記事を読んで気になった人は、ぜひとも夜の渋谷に飛び込んでみてほしい。
(C) FURYU Corporation.
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