「NieR」シリーズの新作「NieR:Automata」が、2月23日に発売を迎えた。地球奪還の命を担うアンドロイドたち「ヨルハ部隊」の一人・2Bから見た「NieR:Automata」の世界とは――。
なくてもいいものが形作る「NieR:Automata」の世界
新作ゲームの発売は何でもワクワクするものだが、筆者はこの「NieR:Automata」の発売を、ことさら楽しみにしていた。昨年12月にアップした体験版プレイレポートでは「このゲームは美しい」と書いたが、見目よいものが好きな筆者は、2Bの身のこなしや佇まいにすっかり魅了されてしまったのだ。
製品版でも、「美しいアンドロイドが、美しい場所で美しく戦う」様は変わらない。体験版では見られなかった、槍を用いた2Bの戦いぶりは操作していてとても気持ちの良いものだったし、はしごを登りきった際、体操選手のようにヒラリと身を翻して降り立つ仕草はクセになる。2Bは魅せる女なのだ。
「美しさ」とは付加価値である。機械生命体に乗っ取られた地球を奪還するため、人間に造られた兵器であるアンドロイドには、本来なくてもいいものだろう。しかし、その「なくてもいい」ものこそが、プレイヤーを包み込む「NieR:Automata」の世界観を作り出している。
例えば「プラグイン・チップ」。これを2Bにインストールさせれば、さまざまなスキルを会得させることができる。ただ2Bの容量には限界があり、それを超えた分のチップをインストールすることはできない。
この貴重な容量を喰っているのが、「ミニマップを表示する」「釣りが可能なポイントに来たらポップアップする」など、ゲームとして基本的な部分である。
最初に見た際には少々驚いた。本来、そこに2Bの容量を割くのはゲーム的に歓迎することではないかもしれない(当然、取り外すこともできるのだが)。しかしこれは、アンドロイドである2Bそのものなのだ。「NieR:Automata」では、プレイヤーがゲームシステムを通じて、2Bと彼女を取り巻く環境を密に感じられるように演出されている。
そして、それはプラグイン・チップに限らない。例えばゲーム冒頭に用意されている、明るさや音量を調節するシーン。一般的にはセッティング画面で適宜調節してくださいで済む話であろうが、「NieR:Automata」では9Sが眠っている2Bを起こすというシチュエーションの中で行われる。
また、プレイヤーが目にするロード画面も然り。単純な「NOW LOADING」ではなく、アンドロイドのセットアップシークエンスが表示されている。ゲーム中は三人称視点で2Bを見ているプレイヤーを、さらに外側から「NieR:Automata」の世界が包み込んでくれるのだ。VRとは質の異なるこの没入感は、かなり気持ちがいい。
アンドロイドの儚さを描く「義体回収」
プレイヤーを包み込むこの世界観について、もう少し紹介させてほしい。「NieR:Automata」の世界をゲームに落とし込んでいる、最たる例が、HPがゼロになった=壊されたあとに行う「義体回収」である。
「NieR:Automata」の世界では、アンドロイドの記憶をデータとして扱い、他のアンドロイドのボディ(=義体)に移すことができる。いわば、我々がセーブデータと呼んでいる、2Bのこれまでの歩みが「アンドロイドの記憶」だ。これは2Bを操作しているプレイヤーの記憶でもある。どこまで歩を進めたか、どんな敵と戦ったのか。
アンドロイドの記憶は残る。しかし、一度壊された義体は元に戻らない。コンティニューしたら最後、プレイヤーは新しい義体の2Bを操作することになる。まったく同じ姿形をしているが、これは壊される前と同じ2Bではない。
壊された場所まで戻って「義体回収」を行えば、壊される前に所持していたプラグイン・チップや経験値などが取り戻せる。コンティニューしても、最後にセーブした時点から簡単にリカバリーできるこのシステムは、ゲームとしてはとても親切だ。しかし一方で、簡単に代わりが用意できるアンドロイドという“生命”の、一種の儚さを感じずにはいられない。
「人間っぽさ」と「人間らしさ」
ゲームシステムがアンドロイドの“生命”を表現しているとしたら、ストーリーが表現するのはその“生き方”だ。
「NieR:Automata」に登場するアンドロイドには、人間っぽい部分が多々見られる。任務を面倒がっては「文句を言わない」と2Bにたしなめられる9Sのような者もいれば、いきなり恋愛相談を持ちかけてくるアンドロイドまでいる。
しかしそんな姿を見せながらも、彼女たちは「人類に栄光あれ」のスローガンのもと、兵器としての役割をまっとうしようとしている。それはとても“機械的”だ。ましてや、これまで書いてきたとおり、ゲームシステムさえも「これは機械=Automataだよ」と訴えかけてくる。人間っぽくはあるが、あくまで「っぽい」のである。
一方、アンドロイドが対峙する機械生命体は、言葉を発しても単語を繰り返すだけのものが多い。が、ストーリーを進めていくうちに、会話をし、意志を表現する機械生命体とめぐりあう。
彼らの中には、人類側と共存するものもいれば、排他的になって自分たちだけの国を作るもの、果ては「仲間を失うことに慣れるのが怖い」と語るものまでいる。そしてプレイヤーは考えるのだ。一体、どちらが人間に近いのだろう?
人間っぽい、でも人間ではないアンドロイドの中で、2Bは「人間らしさ」を感じさせる存在だ。彼女はアンドロイドとしての使命に忠実である一方で、それとは異なる価値観を持っている気がしてならない。ある出来事から悔しそうに拳を握りしめる姿が、筆者にとってすこぶる印象的だったのだ。
2Bは一体、何になりたいのだろう。それを知るには、もう少し彼女の歩みを進める必要がありそうだ。その歩みを通して、地球上で文明を広げる機械生命体の未来、彼らから地球を取り戻そうとする人類の未来、そしてその間に挟まれた、兵器としての、生命としてのアンドロイドの未来が見えるのではないだろうか。