日本ファルコムの人気アクションRPGシリーズ「イース」が、今年で35周年を迎えました。35周年記念日そのものはとっくに過ぎてしまったのですが(2022年6月21日)、「イース」の35周年をお祝いしたいライターによる「イース」振り返り企画をお届けします。
特に本稿では、「イースIX -Monstrum NOX-」(以下、「イースIX」)でとある選択肢によっては聞くことのできるドギの「辛い時ほど笑うようになったじゃねぇか」というセリフが、妙に頭に残っている筆者による、アドルのこれまでの旅に起こった様々な出来事を振り返っていきたいと思います。
……とは言え、アドルは”プレイヤーの分身”的な存在。基本的にセリフはありませんし、プレイヤーによって抱く感情も違うでしょう。なのでこれはあくまで筆者が勝手に「この時のアドルは辛かったのではないか」と想像するだけに過ぎないことも、ご了承ください。
とりあえずアドルの年齢的な時系列順に並べ直すと、「I&II」(17歳)、「IV(セルセタ)」(18歳)、「III(フェルガナ)」(19歳)、「V」(20歳)、「VIII」(21歳)、「VI」(23歳)、「SEVEN」(23歳)、「イースIX」が24歳の時の物語となりますので、ここはあえて年齢順に追っていきたいと思います。
なお、本稿は【ネタバレだらけ】となりますので、ご注意ください。
イースI&II
アドルの始まりの旅となった、「イースI」と「イースII」。今更ではありますが、この2作は前後編となっていますので、まとめてお届けしたいと思います。
言うまでもなく、アクションRPGとして当時ゲームファンはもちろん、ゲーム業界まで揺るがした作品です。ストーリーが、ゲームにとっていかに大事かを知らしめる作品となりました。冒険に憧れて故郷の村を旅立ったアドルが、呪われた島エステリアの噂を聞き、エステリアに向かおうとするものの海の結界の阻まれ、エステリア島の浜辺に漂着するところから始まります。
このゲームの「アドルが辛かった時」と言えば、まず真っ先に挙げられるのはサラの死でしょう。サラはミネアの町にいる占い師で、アドルに「イースの本」のことを教えた重要な人物ですが、アドルが他の地を回っている間に何者かに殺されてしまっていたのです。
生贄の少女・マリアの死も衝撃的でしたが、「鐘の音が5回鳴るとマリアが死ぬ」というイベントで、4回目の鐘の音が響く中、鐘がある最上階へとたどり着いたアドル。ここまでくれば、「間に合った」と思うのがプレイヤーの心情でしょう。しかし、ここで黒幕によって5回目の鐘の音が鳴らされてしまい、結局アドルはマリアは救えず、彼女は生贄となってしまうのです。
鳴り響く無情な鐘の中を走るアドルも充分辛いと思うのですが、さらに結局間に合わず死んでしまうというのは、ダブルパンチです。既にここまででアドルの辛かった物語は終わって良いのではという気持ちにさせられるのですが、病気の少女リリアとの出会いや、人間を生贄として処刑し続けてきた人間狩り関連、「I&II」は思い返すだけで心が重く沈んでいくイベントだらけでした。
更に、「I&II」といえば古代イースの女神たちであるレアとフィーナ、そして全ての魔法の源となる黒真珠を巡る物語です。レアとの出会い、フィーナとの出会いはアドルの旅を語るに欠かせません。一方で、この二人との出会い及び黒真珠にまつわる物語の数々こそが、アドルを様々な悲劇の冒険に導いたとも言えます。最後のバトルの後に、アドルのMPが0になっていく演出も切なく、心の奥にずしんとくるものがありました。
……もうこの企画、ここで終わってよくないですか? そんな気持ちにさせられてしまいます。
フィーナとの切ない別れは、全ての「イース」の民の心に、深く深く刺さるイベントでした。ただ、その数々の悲しみも、切なさも、全て包み込んで終わるのは「イース」シリーズの良さですね。
イースIV(セルセタの樹海)
「イースIV」は、後に「イース セルセタの樹海」(以下、「セルセタ」)としてリメイクされていますが、シナリオに色々と手が加えられているので、「セルセタ」をベースにして語りましょう。現在出ているアドルの冒険譚としては、2番目の物語となります。
アドルの記憶喪失からスタートする「セルセタ」は、出だしから非常に苦しい状態でのスタートとなります。でも逆に言えば、「I&II」での辛い経験を全て失った状態で冒険に挑めるのだから、アドルにとっては必ずしも悪いことばかりではないのかもしれません。
セルセタの樹海の地図を作成することになる記憶喪失のアドルですが、水上集落セルレイでは何故かいきなり住人の手によって逮捕されるアドル。やはりアドルの旅は今回もいきなり辛い出来事というか、前途多難というか……。河に毒を流した犯人と言われますが、記憶喪失である本人は、身に覚えがないどころではありません。
その濡れ衣をなんとか果たした後に訪れた樹上集落コモドでは、今度はアドルが神隠しをしているという嫌疑に。我々からしてみたらこれも濡れ衣で他に犯人などがいるのであろうことはわかりますが、記憶喪失なところにまた次の疑惑までかけられるアドルの心労を思えば、「もう帰ったほうがいいんじゃない……?」と言いたくなるほどですね。
でもそこでめげるようなアドルではありません。ですが、事件を解決する過程で、カーナの弟のレムノスを闇の一族にさらわれてしまうという出来事もありました……。
更に先に進むと、「アドル・クリスティン、ここに眠る。」と、自身のお墓と対面してしまう場面もありました。一体このお墓は誰のものなのでしょう? それともアドルがふたりいる? と、プレイヤーからは様々な憶測ができたものの、アドルの心中は終始穏やかではなかったでしょう。
個人的に「セルセタは樹海のマップをひたすら作っていくから、結構ライトだったな~」という印象だったのですが、エピソードひとつひとつを拾うと「アドル……辛すぎない!?」という出来事が、思っていたよりも多かったです。
イースIII(フェルガナの誓い)
「イースIII」といえば、相棒のドギの故郷に訪れたアドルが目にしたものが、モンスターが徘徊するほど荒廃した街だった、というだけでまず充分心が痛いでしょう。このドギの故郷が、フェルガナでした。
そしてフェルガナの地でアドルと出会うのが、ドギの幼馴染であるチェスター。このチェスターには「出て行け」「今度現れたら命はないものと思え」など、散々な言葉を浴びせられたので、この時点でアドルの心情、推して図るべし……というところです。
基本的にアドル、ドギ、チェスター、そしてチェスターの妹・エレナの4人を中心に描かれる本作は、他の作品から見たらアドルにとっての”辛いこと”は少なかったように見えます。ですが、リメイク版である「フェルガナの誓い」ではドギが刺されてしまうなど、本来の「イースIII」にはなかった穏やかではないイベントが増えています。
アドルに直接関係しないところでは、フェルガナの領主に両親を殺されたチェスターが復讐心に燃えているという設定があり、そのために各地で暗躍。それを止めたいエレナがアドルにチェスターの説得をお願いするという中でいくつかの悲劇はあれど、アドルの心にとってそれが辛い出来事だったかというと、個人的には少々違う印象を受けます。
ただ、結局最後には全ての罪を清算するためチェスターは自害するように復活させてしまった魔王と共に死んでしまい、最後には復興のために残るドギと、兄を失いながらも気丈にアドルに旅立ちを見送りにくるエレナの姿が、アドルの胸を打ったと思います。
イースV
遭難もせず、記憶喪失にもならず、歴代最も平穏な立ち上がりで始まる「イースV」。砂嵐に守られた幻の都「ケフィン」へとたどり着いたアドルは、ある意味で最も「冒険家」らしいスタートを切ったとも言えるでしょう。
物語も、これまでと比較すると、あまり辛いことが起こっていません。強いて言うなら、錬金術だという技の嘘をアドルが見抜いたら、理不尽にモンスターをけしかけられたとか、足を滑らせて川に落下したりはしていますし、他にも「絶体絶命」という場面には遭遇しますが、アドルの心情が”辛い”かというと少々疑問なところ。
そんな中で筆者も心が痛んだし、アドルもきっと心が痛んだだろうと思うのは、審判の儀に関連するイベントです。10歳以降、10年ごとに天秤にかけられ、罪深さをはかられるという、ケフィンの人々。悪人と判断されると連行されてしまいますが、その裏側にあったのは王の不老不死のための生贄の儀式だった……というイベントです。
こう振り返ると、「イース」では不特定多数を生贄にするイベントが多く見られますね。見知った人間を助けるのは当たり前、見知らぬ人間も助けるからこそアドルなのだという、アドルのキャラクター性を際立たせるためなのでしょうか。
もちろん冒険の道中でピンチに陥ったり、謎が解けていく過程、盛り上げるところは盛り上がり、見どころもたくさんあるゲームですが、歴代「イース」の中ではアドルが辛かった冒険ではなかったように思います。でもたまにはそんな冒険があってもいいよね、と感じるのが「イースV」です。
ちなみに本当はこんな簡潔にまとめられないくらい壮大な物語でもありますから、未プレイの人にもぜひ遊んでほしいのが「イースV」なのですが、現状では現行機でプレイする手段が乏しい作品です。ぜひ移植してほしい作品のひとつです。
イースVIII
「イースV」の直後にあたるのが「イースVIII」。サンドリアでの冒険を終えたアドルがアフロカ大陸を目指すものの、その過程で水夫として働くことになった豪華客船ロンバルディア号が沈み、アドルも海へと投げ出され……というわけで、はい、遭難から始まる「イース」です。
アドルが流れ着いたセイレン島に、ロンバルディア号の乗客が他にも流れ着いているのではないかと、島の探索と共に乗客を探しては保護していく……という流れで進んでいくのですが、その過程でアドルはどこかの見知らぬ少女ダーナの夢を見ます。大樹の巫女だというダーナは、予知能力を持っていて、そして一番不思議なのはアドル自身がダーナになったようなリアルさが伴う夢であること。
こうして二重(?)の生活を送ることになるアドル(ダーナ)ですが、本編ではいきなりロンバルディア号の船長が襲われて死亡するという不幸があり、アドルがその後を託されるという、悲しい出来事がありました。
また、人の生死以外にもセイレン島には「古代種」と呼ばれるとうの昔に滅んだはずのような生物がそこかしこにたくさんいて、この古代種にも散々苦しめられるアドル一行。古代種の強さや、拠点を襲う度重なる襲撃が辛かったというよりも、アドルにとっては冒険の最中で唐突に襲撃が始まることが辛かったのではないかと予想されます(冒険のいいところで「帰ってこい」と言われるのは、アドルにとって楽しい冒険の腰を折られるわけですしね)。
やがてダーナも、自身の中にアドルがいることを知り、アドルの目から自分が今住んでいるエタニア王国がアドルの時代に滅んでいることに気づきます。「イースVIII」も、どちらかというと“アドルが辛い出来事”よりも、自分の住んでいる場所の滅亡を知ってしまうダーナの悲劇が大きく描かれており、アドルはダーナの悲劇を見ながら胸を痛めるような立ち位置でした。
最終的にはパーティに加入するダーナですが、一方で過去の人間である自分がずっとアドルと共にいられるわけではないこともわかっていたダーナ。一度は一行の前から姿を消すダーナですが、「別れはいつか必ず全員に訪れるものだ」というセイレン島の仲間たちのダーナへの言葉が、まさにアドルの旅そのものを表しているともいえるでしょう。そしてその言葉に「いつか訪れるその時を笑って迎えたい」というダーナの言葉も、まさにアドルのこれまでの旅の心中を表す、象徴的なものとなっています。
歴代「イース」の中でもかなり壮大な物語となった「イースVIII」には、このあとも試練が訪れ、「ラクリモサ」と呼ばれる災いで、現代に生きる人間も含めて滅びることを予知されます。アドルたちがそれに立ち向かうというよりは、ダーナが数々の試練を乗り越え、アドルたちを滅亡から救うというのが「イースVIII」なので、アドルが歯がゆかっただろうと予想されるのは、己の力ではなくダーナひとりに多くのものを背負わせ、彼女に頼るしかなかったところではないでしょうか。
とはいえ、過去にエタニア王国を滅ぼしたラクリモサが現代に再びラクリモサをもたらそうとしているのを最終的に止めるのは、ダーナだけではなくアドルとダーナのふたりです。
エンディングが3種類あり、それによってアドルの心情も変わってくるというのが斬新でしたが、ここは真エンド前提で希望ある未来を勝ち取ったアドルとダーナのふたりを残して終わりたいところです。
イースVI
「イースVIII」の次の物語となるのが、「ナピシュテムの匣」と呼ばれている「イースVI」です。「イースV」で知り合ったテラや、相棒のドギと、アトラス洋の果てにあるというカナンの大渦を目指すアドルですが……海といえばお察しの通り、今回も漂着からのスタートです。
レダ族の姉妹であるオルハとイーシャに助けられ、無事意識を取り戻したアドルですが、序盤は待ちに待った冒険とあって、どんな苦難も辛いという気持ちを持たなかったように感じられます。むしろエメラス剣の作成や、カナン島への道のりでのガッシュとの出会いなどは、アドルにとってはワクワクする出来事のひとつだったのではないでしょうか。
実際冒険がはじまり、しばらくして、ドギやテラと再会したときには、「自分たちがロムン帝国に追われている間に、ひとりだけ冒険三昧なんて」と、テラから嫌味のようなひとことが飛び出しますが、まったくもってその通りでしょう。
ですが、そんなアドルの冒険に暗雲が立ち込め始めるのは、カナンの大渦が消え、ロムン帝国によるカナン侵攻が始まってからです。レダの集落はロムン帝国の手に落ち、オルハも、イーシャも、他の村人たちも囚われていたのです。
アドルが本作で一番苦しかったのは、ここでオルハとイーシャを救出するまでだったのではないかと思います。しかも実は姉のオルハよりも巫女として大きな力を持っているイーシャは、ガッシュの兄である黒幕エルンストに連れ去られ、黒き匣の復活に利用されてしまうのです。
しかし、黒幕だと思っていたエルンストの目的も、実はナピシュテムの匣の制御権を手にすることで、世界の滅亡を防ぐことでした。匣の制御権を得ることで世界を征服しようとしていたことは確かですが、彼は匣による世界の滅亡は望んでいなかったのです。……ですがアドルに敗れたエルンストは、死亡してしまいます。エルンストの遺志を継ぐアドルですが、ここのアドルの心中としては、いくら世界征服を目論んでいたとはいえど、エルンストを死なせてしまったことについては、相当やるせないものがあったのではないでしょうか。
もちろん、このあとアドルはナピシュテムの匣の破壊に成功し、世界を救うものの、世界を救った後には別れがあります。もちろん、オルハやイーシャともお別れの時です。まだ幼いイーシャはアドルとの別れを素直に受け止めきれないようでしたが、そんな寂しさも「イース」シリーズのお約束です。
イースSEVEN
「イースSEVEN」で、ついにアルタゴまでやってきたアドルとドギ。しかしいきなり騒動に巻き込まれて、牢に入れられてしまいます。おっと、いきなり辛いスタート……と思いきや、この時はあっさりと釈放されます。
アルタゴに眠るという竜の存在に迫っていく壮大な物語が展開される「イースSEVEN」ですが、そこに密接に絡んでくるのが「イスカ熱」と呼ばれる不治の病です。このイスカ熱の治療薬となる希少品「緋晶石」を探す間が、本作でアドルにとってひとつめの苦しい出来事だったと思います。
ただ、これまでの「イース」だと緋晶石は手に入れたけど間に合わなかった、という展開も充分に有り得たのですが、今回は普通に間に合ったので、アドルの苦難も一瞬だったでしょう。
ここからしばらくは冒険が中心となりますが、それだけで終わらないのが「イース」シリーズ。今度は公王の殺害容疑でアドルとドギ、ガッシュはつかまり、しかもアドルは処刑が決まってしまいます。
処刑は、とても普通の人間じゃかなわないような巨大な獣との一騎打ち。しかもアドルに与えられたのは質素な剣。それでもなんとか獣を倒したアドルでしたが、勝てば処刑を免れるはずが、騎士団たちはそれでもアドルを殺そうと襲い掛かってきたのです。ドギとガッシュの助けを経て逃げ出したアドルは、なんとかアルタゴ市からの脱出を遂げるのでした。
この苦しい出来事の後は、再度アルタゴの謎を巡る冒険が続きます……が、ここにきてイスカ熱が再び猛威を振るい、薬すら効かなくなってしまいます。今度こそ死人が出てもおかしくない……という中で、黒幕がサイアスであることも判明します。
アルタゴの全ての竜の力を取り込んだアドルは、自身が滅びを阻止する存在になったことを知り、これまで滅びを阻止できたものはいないと言われつつも、最後まで戦うことを決意します。
時系列でみていくと、アドルはこの直近の冒険全てで”滅びから救う者”となっているので、もう滅びを救うくらいでは辛い思いはしていないのではという疑問も覚えますが、きっとアドルのことですから行く先々できっとその都度心を痛めているんだろうと思います。少なくとも私の中のアドル・クリスティン像は、そういうキャラクターです。
イースIX
ついに最新作「イースIX」です。ここはもう言うまでもなく、ドギと共に監獄都市バルドゥークに到着したとたん、ロムン帝国につかまってしまったアドルの悲劇から始まります。
尋問にも耐え、なんとか脱出に成功したと思った矢先、謎のフードの女に「怪人」にされてしまい、謎の”異能”という能力を得てしまったアドル。
そして監獄から脱出してドギと再会した後に、ドギが「辛い時ほど笑うようになった」というあのセリフを口にするのです(※選択肢次第)。
このセリフがドギから出てくるようになってしまった過程が、ここまで語ってきたアドルの物語の一部です。ですが、その前に「イースIX」のお話をもう少しだけ続けましょう。
「イースIX」最大の見どころは、“ふたりのアドル”です。異能の力を持って“赤の王”となったアドルと、監獄から逃れられないまま監獄の中を彷徨うアドル。このふたりのアドルの物語が、どこでどのように交わるのかが本作の最大の見どころとなっており、そして本作で一番アドルが辛かったのではないかと思うシーンにもつながります。それが、赤の王の記憶を受け継いだアドルです。
自分自身ではなかったけれど、間違いなく”アドル”だった”赤の王”。基本的にセリフを一切喋らないアドルが、唯一といっていいほど自分の声を形にしたのが、赤の王がアドルと融合するシーンが初めてのことでした。赤の王がどんな思いで消えていったのか。赤の王がアドルに託したものはなんだったのか。それを考え始めると、赤の王の記憶を受け継いだ時のアドルが、歴代シリーズで一番辛かった場面なのではないだろうかとすら、思えるのです。
と、少々駆け足での振り返りとなりましたが、35周年を迎えた「イース」シリーズの中で、筆者の心に残った「歴代アドル辛かったシーン」特集は、いかがでしたでしょうか。冒頭でも述べた通り、アドルはプレイヤーの分身です。なので、「私はもっとこのシーンのアドルが刺さった」「こっちのほうが辛かったんじゃないか」とか色々あるとは思いますが、皆様のアドルの思い出はそのままに、「そういえばそんなこともあったなぁ」と思い返すようなきっかけになってくれれば幸いです。