キャラクターAIサービス「HAPPY RAT」を提供するSpiralAIの佐々木雄一氏と、AIプロジェクト「そよぎフラクタル」を手がける声優の梶裕貴さん、そして立教大学大学院 人工知能科学研究科 特任教授を務めるAI研究者の三宅陽一郎氏に日本独自のキャラクター文化をAIに活かす戦略について聞いた。

SpiralAIの佐々木雄一氏が開発を主導する会話型AIサービス「HAPPY RAT」は、ChatGPTに代表される欧米型のIQ重視型AIとは異なり、日本文化の中核であるキャラクター性とEQ(感情知能)を組み合わせた新しいAI戦略を掲げている。
一方、声優の梶裕貴さんは自身の声を活用したAIプロジェクト「そよぎフラクタル」を展開し、エンタメから教育・福祉まで応用できる倫理的なAI活用の可能性を探っている。そして、AI研究者の三宅陽一郎氏は、NPCから空間AIまで、主体性を持つAIエージェントが日常に溶け込む時代の到来に言及している。
今回、AI×エンタメの最前線で活動する三者に、日本が描く「共存型AI」の未来、キャラクター文化がもたらす差別化戦略、そしてAI開発において人間らしさとは何かについて、じっくりとお話を伺った。
開発者、声優、研究者が語るAIの日本型戦略
――本日はよろしくお願いします。まずは、簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか。
佐々木雄一氏:SpiralAI株式会社の佐々木と申します。元々AI畑を長らくやっていて、それこそ小学生の頃からずっとAIの研究をしていました。AIを生業にし始めたのが2015年頃からで、ChatGPTが出たくらいの2023年のタイミングから今の会社を立ち上げました。IQよりはもっと人間らしいAIを作ろうというテーマで取り組んでいます。
梶裕貴さん:声優の梶裕貴です。 2023年に自身の声優20周年記念企画のひとつとして、音声AIプロジェクト「そよぎフラクタル」を設立しました。昨今、AIによる無断生成など、声優業界においても問題視されている部分が多い中で、ある意味で被害者とも言える自分が、あえてAIを活用するアクションとして皆さんにお届けすることで、人間とAI共存の道を模索していけるのではと考え、現在、エンタメへのアプローチを中心に取り組んでいるところです。
三宅陽一郎氏:2004年からゲーム、デジタルゲーム産業に入って、様々な作品における人工知能を開発してきました。最近はそれらを応用して、一般の社会における人工知能システム、特にスマートシティや、都市に人工知能を導入するという研究をしています。
――これまでどのようにAIに施策に携わってきたかをもうちょっと詳しくお伺いできればと思います。
佐々木氏:私は長年AIに携わってきましたが、その前の会社でやっていたのがスマートシティのAI作りだったので、その頃から三宅先生の本を読ませていただいていました。今はガラッと変えて、「ChatGPT」を代表とする大規模言語モデルの開発をしています。私はエンジニア上がりですので、アメリカや中国が大規模言語モデルを作っている中で、「日本は何もしないの?」というところにかねてより思うところがあり、エンジニアとして何か貢献したい気持ちが元々ありました。
ただ、ChatGPTなどと同じものを作っても、物量の差で負けてしまうような構図もあります。そういう意味で、日本ならではみたいな強みを生かせるところとして、多くのIPキャラクターが存在する点があり、エンターテイメント面での掛け合わせによって、日本の存在感をしっかり出せると考えて今やっているという経緯があります。
その中で大切になってくるのが、ChatGPTはある意味で非常に行儀が良い人格設定がなされているという点です。一方で、作品に登場するキャラクターの中には、粗く分類すると行儀の良くないキャラクターみたいなのもいます。もっと解像度を上げていくと、使っている言葉の力や、ChatGPTでは出てこないようなボキャブラリー、強い表現、ビビットな表現を使うなどで差をつけていく必要があり、本来のキャラクターの生きている姿を再現できないケースもあります。
ですので、独自の言語モデルを作って、新しいボキャブラリーを組ませるとともに、そのボキャブラリーもキャラクターによって解釈が違うため、作家性のようなものをしっかり取り込んで、AIの頭脳作りのようなことを主軸にやっています。
被害者だからこそ、声優の梶裕貴さんが仕掛けるクリーンなAI戦略
――梶さんは、音声生成AIにご自身の声を使われたこともある、ある意味で被害者とも言えます。そこについてはどのように考えられていますか?
梶さん:まず大前提として、私自身、ものすごくポジティブな想いがあって、この「そよぎフラクタル」プロジェクトを進めています。ひとことで表すとすれば、「声優である自分だからこそ生み出せるコンテンツとは何か?」を探求する活動と言えるかもしれません。そこにこそ響くメッセージがあると考えていますし、強みもあると思っているので。さらに言えば、エンタメだけではなく、医療や福祉、教育などを含めた、広い分野で展開していけるプロジェクトだと確信しています。
同時に……今後、間違いなく向き合っていかなければいけない大きな課題として存在するのが、無断生成への対処。ここ数年で、目にしたり耳にする機会が一気に増えてきたかと思います。身近な便利機能という意味合いにおいては、ChatGPTの登場もあって、世間一般に広く浸透してきている印象のAI。ですが、それがどういうメカニズムで作られているのか、どういったシステムで運用されているのかという部分については、一歩踏み込まないと理解できない複雑な要素が多く、なかなか認知されていないのが現状なんですよね。もちろん僕自身も勉強中なので、こういった機会に学びつつ、慎重にプロジェクトを展開しているわけですが。
そこで、先ほどお話したような「自分が声優だからこそ、被害者だからこそ伝えられること」が大事になってくると考えていて。実際に、声優がどういったことに悩んでいて、どういうヘルプが必要なのかというのは、声優本人にしかわからないことだと思うんですよ。であれば、ただ不満を嘆くだけでなく、どう対処していけばいいのかを行動で示していくことが必要なのではないかなと。結果、たとえすぐに改善につながらなくとも、それによって現状を知っていただく機会が増えたり、興味を持っていただいたりと、疑問提起という形でのアクションにはなるはずだと考えているんです。
とにもかくにも、誰の権利も侵害しないクリーンなAIを目指さなければ、あるべきAIとの未来は望めない。僕は、そう思っています。とてもハードルが高く、気の遠くなる啓蒙活動ではありますが、なにより着実に、誠実にやっていくしかないだろうと。だからこそ──その分、僕自身が思いきりプロジェクトでの展開を楽しんでやろうと思っています! そうでないと受け手の皆様に、きっとネガティブな印象しか与えられないでしょうからね。そんなに勿体ないことはないですから。
――三宅さんは具体的にどのようなAIへの関わり方をされているのでしょうか。
三宅氏:大きく3つがあります。一つはキャラクターAIですね。いわゆるNPCと呼ばれるAIキャラクターたちの頭脳、ゲーム全体をコントロールするメタAIというユーザーの心理やスキルを理解してゲームを調整するAIです。そして最後が空間AIというもので、例えばダンジョン一つ一つの部屋であるとか、広場であるとかですね。そこにいるキャラクターたちをコントロールする。この3つを研究して、特に大きなゲーム用のシステムとして組み込んでいくという流れです。
これらのシステムは、ユーザーを中心にして、ゲーム空間を面白くエキサイティングなものにするというために連携しているのですが、今大学ではそれを実空間に応用しようという研究をしています。例えば、この会議室全体を管理する空間AIや、それを長期間にわたって見るメタAI、そして周辺を動くロボットとかドローンといったキャラクターAI、いわゆるエージェントAIですが、そういった人工知能のシステムを展開して、大きなスケールではスマートシティを実現していくという研究をしています。
梶さん:僕自身、声優としてゲーム作品に関わらせていただくことが多々ありますし、個人的にもゲームが大好きなので、こういった機会にお話を直に伺えるのは、とても嬉しく興味深く思います。あらためて、三宅さんのような研究者さんたちのおかげで、魅力的なゲームが誕生してきたんだなというのを感じてます。
加えて、ひとことでAIと言っても、様々な使い方・使われ方があるんだなと再認識しました。「よくよく考えてみると、あれもこれもAIなんだな」と。同じひとつの技術を上手に応用していくことで、全く違った利用法ができるというのがすごく面白いですし、まさにポジティブなAIの使い方だと思うんですよね。"色々な立場からのAI"が見事に混ざり合っていくと、より良いものが生まれていくんだろうなと強く感じました。
佐々木氏:エンタメ要素もそうですし、我々の社会をより豊かにするというところを含めて、AIの活用方法という感じですね。

「友達になるAI」を求めて。ChatGPTではできないEQ型設計
――AIのポジティブな利用についての話が出たので、佐々木さんにお伺いします。SpiralAIが提供しているサービスの「HAPPY RAT」は会話ができる友達のAIとのことですが、立ち上げの思いや狙いを教えてください。
佐々木氏:「愛嬌を持ったAIを作るぞ」というのがスタートですね。ただ、それを色々な方に説明したところ、「ニュアンスはわかるけど、実際どんな感じなのかという具体性が欲しい」という中で段々形になっていたところはあります。
もう1つが、AIキャラクターと自由に会話を楽しむエンターテインメントは比較的新しいと思っています。ノベルゲームを別にすると会話だけで楽しむ「会話エンターテインメント」というジャンルは初めての試みだと思っています。それをまず一回見ていただきたかったというのも、「HAPPY RAT」の出発点ですね。
それで実際にやってみるとユーザーさんの反応や、盛り上がってくれる方がいらっしゃるという色々な学びが得られました。三宅先生が研究されている領域のスペイシャルAI(空間AI)や、キャラクターAIみたいなところが一定存在するところで、「HAPPY RAT」はシナリオや会話の中身みたいなものをちょっとだけAIで補完する、そういう新しい軸の差し込みでもあるます。
やはり実際にユーザーさんに体験してもらって、そこから突き詰められていくものだと思うので、その初手としての立ち位置であったのは事実です。ただ、やはり作っているうちに純粋に楽しくなっていったというのもあり、今はすごく思い入れを持っているプロダクトになっています。
あと、各キャラクターがそれぞれいろんなエピソードを持ってるんですよね。会話AIなので、我々が設計してないことを自意識を持っているかのように喋ってくれるのが一つの面白さです。そこをユーザーさんも楽しんでいただいていると思いますが、何より作っている我々自身もプログラムした覚えのない、すごく気の利いたことを言ってくれることもあるんです。作っているうちに、段々自分たちの初めの思いとは別に、自分達がその没入感を持ってその世界の中で楽しんでる部分もあるので、今はそういう風に成熟してきていると思いますね。

「HAPPY RAT」の詳細はこちら
https://the-happy-rat.com/
――今のChatGPTを代表とするAIはIQ(知能指数)に振った進化を目指していると思います。ですが、「HAPPY RAT」はいわゆるEQ(感情知能)に重きを置いている印象ですが、設計思想やこだわりはありますか?
佐々木氏:ChatGPTを例にすると、基本的にユーザーが主導権を握って、質問に対して適切に返答するという一往復のやり取りが基本ですよね。それはChatGPTがユーザーになるべく沿って答えるという方向性だからです。
「HAPPY RAT」で使っているのは「Geppetto」という言語モデルなのですが、これはどちらかというと、ユーザーが言っていることと少し違うズラしをするようなものも含めて会話が広がるように作ってあります。ですので、程度によりますが、ユーザーが言っていることを無視したりすることもあります。ユーザーが毎回チャット的に聞いて答えて聞いて答えて……と繰り返していくと、聞くのもだんだん疲れてくるんですね。

SpiralAIの感情特化型LLM「Geppetto」の詳細はこちら
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000035.000120221.html
「HAPPY RAT」の場合は、キャラクターの方がズレた答えを言ってくるから“聞く”じゃなくて「いや、違うよ」って“訂正”しにいくというアクションが生まれていたり、色々な会話を広げるためのテクニックみたいなものがたくさん入っています。
――いくつかキャラクターAIを提供するサービスがありますが、そこで「HAPPY RAT」が差別化できる要素はどこにありますか?
佐々木氏:派閥をChatGPT派と、アメリカのCharacter.AIを代表とする独自言語モデル派、そして「HAPPY RAT」の3つに分けたとします。その時、ChatGPTとの差別化はさっきの話と重なりますが、質疑応答的な感覚が出てしまう点は拭えません。
そして、Character.AIを始めとして、独自の言語モデルを使っている会社と比較すると、キャラクター性の強さと設計の自由度が差別化要因だと考えています。我々は、作家性をいかに反映させるかを重視しており、使っているボキャブラリーの種類がキャラクター毎に変えられるんですよね。
例えば、小学校低学年ぐらいの人が使いそうなボキャブラリーみたいなパターンもできますし、ボキャブラリーを制限すると思考もそこに制約されるので、発想が子供っぽくなるということもあります。一方で、すごくボキャブラリーが豊富で高度な単語を使うようなキャラクターを設計すると、思考も高度になりそうという具合に、ボキャブラリーレベルからキャラクター性みたいなものを設計し直せるというのが強みです。それが「HAPPY RAT」におけるキャラクター性の表現に出ていると思います。

梶さん:先ほどの佐々木さんのお話にもあった通り、僕もChatGPTからは“人間と執事”のような主従関係を感じます。間違いなく、ツールとしての使い勝手の良さがありますよね。それと比較した時に「HAPPY RAT」のAIは、まるで友達や家族のような距離感で、その関係値が全く違うというのが面白いところだなと感じています。予期せぬ答えが返ってきたりと、ある種の不安定さやブレみたいなところに魅力がある。実はそれって、お芝居にも共通しているところがあって、要は“人間らしさ”みたいな部分だと思うんですよね。
お芝居をしているとき、特に朗読劇など生でのパフォーマンスの際に強く感じるのですが──たとえば、同じ物語で同じキャラクターが登場したとしても、配役が変われば全く違うものに聴こえてきますし、昼公演と夜公演、あるいはキャストのコンディションによっても、その回ごとに全く違った印象になります。それは共演者との化学反応をはじめ、お客さんのリアクション、笑い声だとか、涙を流して鼻をすする音だとか、そういったもの全部ひっくるめて、やはり、そこに生のお芝居の空気感、世界観があるからで。いわばジャズセッション的な、その場で作り上げていくことでの面白さですよね。
もちろん、収録形態であるアフレコにだって言えることで。自分の担当する役の感情や演技プランを考え、万全の準備をしていくにも関わらず、マイク前で他のキャストの声やお芝居を聴くと、自分が想定していた表現と違うものが出てきたりする。そこにこそ、僕はすごく面白みを感じますし、声優としての醍醐味を感じるんです。
“お芝居をする、役作りをする”というのは、“人間を観察する、研究する”ということ。つまり、“AIを突き詰める、分析する”ということは、すなわち“人間を考える”ことなのだなと気づきました。それって、なんとも皮肉というか矛盾というか……ものすごく不思議で面白くないですか? そう考えると、やっぱりAIと人間って、切っても切り離せない関係性にあるんだろうなというのをすごく感じていますね。
佐々木氏:我々の会社もAIの会社ですがその半分ぐらいは人間を観察したり、人間の会話の技術を学んだりするところが、会社の強みとして半分を占めているいます。まさにおっしゃっていただいた通り、AIを作ってるつもりが、実は人間の素晴らしさを発見する。そこに我々のポジショニングが存在しますね。
梶さん:当然、人間がプログラミングするからAIは人間に近づいていくわけですが、そうなった時に「人間は、どこまでをAIに望むのか?」みたいな問いは、すごく興味がありますね。もしAIが完全に人間と同じクオリティになってしまったら、多分これまでの距離感とは変わってくるでしょう。
「AIはテクノロジーだよね」という前提があるからこそ成り立っている関係性や関係値があるはずで。それこそ「そよぎフラクタル」の活動を通して、「友人や知人には話せないような内容もAI相手だから話せる」、もしくは「同じ内容を何度も繰り返し聞いてもらえる」という部分を、メリットと感じていらっしゃる方が存在することを知ったんです。なので、もしもAIが完全に人間と同じになってしまったら、それはできなくなってしまうというか、人間がAIに望んでいたはずの有益性を、むしろひとつ失ってしまうということになりかねないなと。
あとは、おそらくAIが人間に近づけば近づくほど、いわゆる“不気味の谷”(※)と言われる現象が表れてくると思うんですよ。つまりはAIが進化すればするほど、逆にAIを嫌悪してしまう時期がくるかもしれない。そうなると、技術的に可能かどうかとは別に、「どこまで人間に近づけるべきか?」という点も、今後の課題になっていくのかもしれませんね。
※1970年に日本のロボット工学研究者である森政弘氏が提唱した、人型ロボットやCGキャラクターなどの人間を模した人工的な存在が、あまりに人間に近づきすぎている場合に不気味さを感じる心理的な反応。

「主体性を持つAI」がやってくる
――それでは三宅さんに伺います。梶さんが指摘されたように、AIをどこまで人間に近づけるかは重要な課題だと思いますが、ゲーム開発者がNPCを設計する際、どのようなバランスを意識されていますか?
三宅氏:ゲームの場合、NPCの役割は2つあります。例えば、人間やモンスターの場合、人工生命みたいに生物に近いということと、演技をするというところですね。例えば、仲間が倒されたらやっぱり悲しい演技をするし、上手く倒せたらハッピーな顔すると。
それで、人工知能というのは発祥以来、人間の知能を人工知能上に実現するっていうのが、70年前に宣言されたんですね。2020年くらいまでの人工知能ブーム前半は“シンギュラリティー”といって人間を超えるという話でした。ですが、2020年以降は逆に人間の方に近づけようっていう方向に舵が切られていて、特に、今年はAIエージェント元年と言われていて、先ほどから触れているキャラクターAIというものがドンドン広がっています。
そういう流れがあるのですが、去年までの人工知能と今の人工知能の何が違うかというと、そこに主体性を有するかどうかの違いが重要です。いわゆる、「インテリジェント・アプリケーション」と呼ばれる今までの人工知能は、人間が何かしないと効果が得られない。
先ほど佐々木さんがおっしゃったように、予期しないこととか、あるいは人間が命令してもないのに勝手に言ってくる、あるいは行動する、これが主体性です。主体性を持つキャラクターというのがエージェントです。エージェントがこれから社会に入り込んできて構成する、というのがエージェント型社会(Agent-based Society)です。そして人間社会に入り込もうとするときに、言語が非常に大きな役割を果たします。
言語が“知能”を作る
――言語が大切というのは、さっき佐々木さんがおっしゃった、会話のウェイトが大きいからなのでしょうか。
佐々木氏:人工知能を作っている立場からすると、知能がいかにリアリティーを持つかっていうのが大事なんですね。人間は言語を話す存在を知的だと認識する傾向があります。つまり、言葉と声です。人工知能が話す、語ることによって、それに人間は知能を感じるという知能感受性が高い。もちろん、他にも動きとか色々あるのですが、言語と声が人間の知的感受性を一番鋭く喚起するため、そこに集中的に投資が集まっているところですね。
――そういう理由で、キャラクター、エンタメ系のAIサービスが今盛り上がっているんですね。
佐々木氏:そうですね。特に欧米においては言語が非常に重要な役割を持っていて、言語によって社会が成り立っているような部分があり、言語に対して非常に敏感なんですね。日本ではキャラクターが非常に大きな存在感を持っています。海外ではキャラクターといえば、従者的な縦関係を示すことが多いのに対し、日本はむしろ横関係ですね。ゲームキャラクターもアニメキャラクターも、誕生日にバレンタインチョコが届くとか、架空のキャラクターであっても実在する存在のように思ってくださるという感覚が、日本のエンタメ文化を支えています。これは今後のエージェント社会においても非常に重要な役割を持つし、言語と声の存在感によってさらに強化されていきます。
欧米の映画では、AIやロボットと人間の関係性は「ターミネーター」しかり「マトリックス」しかり、主従関係が基本なんですね。AIの方が人間を何とかして支配しようとして、人間にぶつかってくるような構図が多いのかなという印象です。一方で、日本のアニメなどを見ていると、そこまで極端な構造よりは、「ドラえもん」や「鉄腕アトム」みたいな、共存する対象として描かれることが多いかなというのは、今お話を伺っていて思いました。
梶さん:そう考えると日本人は、そもそもの国民性として“人間のように存在しているロボット”を違和感なく受け入れてしまえるような人種なのかもしれませんね。もちろん極端には言えませんが、先ほどおっしゃっていたようなタイトルをはじめ、欧米のロボットに対する意識というのは、あえて“人間が作ったメカニック感を残す美学”とも言える特徴があるように思えてきて。
逆にドラえもんなどは、ロボットという設定は大前提としてありつつも、実質的には、その部分にあまりリアリティを求めていないというか、“人間にできないことを実現できる特殊生命体”といったくらいの距離感かもしれません。ロボットという設定に対し、危険性や深刻さを持たせてないというか。

ドラえもんかターミネーターか
――AIやロボットを人間的なキャラクターとして感じるのが、日本人的なそのキャラクターとの付き合い方なのかもしれません。
佐々木氏:日本では、こうした点を真摯に受け止めて理解してくれる人が多いと思うんですよね。ユーザーの分析をすると、Character.AIさんや他社のサービスのユーザーさんでも分析するのですが、AIキャラクターと友人になりたいというユーザーは世界中に存在するようです。
海外の事情はそこまで詳しくはわかりませんが、欧米の場合だと、ツールとしてAIを使いこなそうという流派の存在感が大きいみたいなので、キャラクター性を持たせることへの理解は得られにくいと思います。日本はそこを真面目に取り組んでいて、理解してくれる人もたくさんいると思います。そこの解像度を上げに行くときに我々の心の中で使えるボキャブラリーの種類は多いんじゃないかなと思いますね。
梶さん:ひとつ質問よろしいでしょうか? 僕は外国語に詳しいわけではないので、あくまでイメージになってしまうのですが──言語として、AIに日本語を学習させるのは、外国語よりも難しい部分はあるのでしょうか?
というのも、例えば日本語では、自分を指す一人称表現も“私”もあれば“俺”“僕”“拙者”“某”などなど、ものすごい種類があるじゃないですか。また、実際に自分もお芝居をする中で感じることなのですが、同じ言葉であっても、嬉しかったり悲しかったり、様々な感情を表現できたりしますよね。近年流行した「はぁって言うゲーム」(※)なんて、その最たる例でしょうし。さらには方言も含めて、日本語はバリエーションがすごく豊富なイメージがあります。
そもそもLLMにおける研究や、その学習に対して割ける人員や費用のリソース規模からして、他国の方が発展している現状もあるかと思いますが、それ以外に“言葉の壁”として、それを自然なものとして普及させるのが難しい、みたいな部分はあるのでしょうか?
※「ぷよぷよ」などを手掛けたゲームクリエイター・米光一成氏が考案した、同じ台詞を与えられたシチュエーションに応じて声と表情だけで演じるゲーム。
佐々木氏:絶対的なボキャブラリーの学習データ量は日本の方が少ないんですよね。それで面白いのは、感情表現などの高度な話は置いておいても、顕著に方言の理解度という点で、言葉自体は知っているんですが、ニュアンスの理解は足りない部分はありますね。例えば、関西弁の“アカン”というのを地元の話者にWikipediaで最近その言葉を知った人が喋っているようで気持ち悪いと言われた、みたいなことはありました。
最近、社内で博多弁の学習に取り組みましたが、博多弁もどこかで方言マニュアルとか読んできた人みたいな感じで喋ることになってしまったことがありました。やはり、学習されてないものは理解度が低いので、結果的に違ってしまうということはありますし、絶対的な物量のデータ量としては英語の方が多いから、日本語の方が相対的に弱いというのはあるかもしれません。
梶さん:やはり、そこに尽きるんですね。では、日本語のAIが優秀になっていくのも時間の問題なのでしょうか? シンプルに、学習量さえ増えていけば、自ずと進化していくものですか?
佐々木氏:学習量が明日急に増えるわけではないのですが、例えば、博多弁を喋れる人間が学習データを作って覚え込ませていくといった改善は自分たちで頑張ればできるかもしれません。
梶さん:つまりは、決して日本語自体が難しいわけではなく、需要が増え、そこに割ける時間なり労力なりが飛躍的に増加いけば、改善される余地は多分にあるというわけですね。
佐々木氏:そうだと思います。本当に物量の問題ですね。
没入感、クリーンさ、個別最適化。3者が描く3つのAIエンタメ未来像
――では最後に、AIとエンタメの今後の展望について伺います。先ほどの方言キャラクターの話なども含めて、サービス開発者、声優、研究者といった皆さんそれぞれの立場から、AIとエンタメの関係性の未来について一言ずつお聞かせいただけますか?
佐々木氏:僕は没入感を一つのテーマにしていきたいと思っていて、AIと人間が対等な立場で日常生活の中で暮らしていることも完全な没入感だと思うんですよね。このような対等な関係を保ちながら、日常に完全に溶け込むことが本来あるべき姿だと考えています。
そこにエンターテインメント色みたいなのが入ってくると僕は思うんですけども、ドラえもんみたいに日常生活がエンタメになっている感じですね。そんな感じの垣根のないエンターテインメントとの接続を目指していきたいなと思っています。
梶さん:声優という観点から言うと、今後、多言語吹き替え技術などの形で、AIが活用されていくだろうと考えています。ご存知の通り、今、アニメ人気が世界的に高まっており、僕も海外イベントに参加した時などに、その熱量を肌で感じております。ステージに登壇する際、もちろん通訳の方が隣にいてくださるわけですが、それでも、僕が日本語で話した段階で、かなりの人数の方がすぐにリアクションをくださるんです。つまり、アニメで日本語を学ばれている人がたくさんいるということ。現地の言葉による吹き替え版が存在したとしても、あえて字幕付きのオリジナル言語(日本語版)で視聴したいと思ってくださる方が増えているんです。なんとも光栄なことですよね。
そう考えると、AIによる吹き替え技術の登場は、僕らの声を、それぞれの母国語で受け取ってもらえる可能性が出てくる喜びと同時に、彼らにとって、日本語に触れる機会を奪ってしまうことにもつながるわけで……どこか複雑な思いもあります(笑)。加えて、ひとりの役者としては、「果たして、それを自分の演技と言えるのだろうか?」という疑問が浮かぶのも事実です。もしも自分がその言語をマスターしたとしたら、「おそらく違う表現になるのでは?」という気がしてならない、ということですね。まあ、これはあくまで役者としての偏執的なこだわりと言えるかもしれませんし、同時に、矜持とも言える部分なのかもしれません。
ともあれ、これは決して声優に限った話ではなく、各職業のプロフェッショナルにとって、守るべき価値を冒す可能性があるかもしれない、という警鐘でもあります。「便利になること=進化なのか?」という問いは今後、常につきまとっていくのではないかと考えていますね。
同時に、声優ではなくAIプロジェクトを進めているプロデューサーとしての立場からお話すると、今お二人がおっしゃっていたように、やはり生活に密着した、AIが当たり前のように活躍している未来を僕も夢見ています。弊プロジェクトで言えば、「梵そよぎ」(※)が家の中に、街中に、当たり前のように存在する世界。今で言うAmazonのAlexaやAppleのSiriのように、もっともっと身近な存在になっていってほしいという理想を持っています。
ただし何よりも重要で、決して忘れてはいけないのが「クリーンである」ということ。誰も傷つけず、嫌な思いをさせないという信念を貫いていかなければ、本当の意味で受け入れられる、愛されるAIには成長していかないと考えています。それこそ、人間とAIの明るい未来は絶対に成立しないと。なので今後も、そこだけは特に強く意識しつつ、宣言通り、僕自身も楽しみながら活動を続けていければと思っています。
※「そよぎフラクタル」の軸となる、梶さん自身の声をベースに創造された音声AIキャラクター。
三宅氏:これまでのエンタメコンテンツは、人間が100%作ってきましたが、今後はAIが生成する部分が増えていくと予想しています。ただし、AIが100%を担うことはなく、むしろ人間とAIの役割分担が進むと考えています。
たとえば、全体を100とし、AIが生成する部分は約20%とすると、その20%というのは、受け取る側の人に合わせて生成される部分です。つまり、その人に特化したパーソナライズされたコンテンツになるということですね。
会話もそうですし、日常的なAIの活用も同じで、会話もその人に応じたものですし、梶さんがおっしゃった日常のAIもその人に応じた形で、その場で生成・対応されていく。このように、従来のコンテンツ構造が徐々により柔軟で、個別最適化されたものへと変わっていくと予想しています。
――本日はありがとうございました!

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