「Caligula -カリギュラ-」シリーズなどで知られるゲームクリエイターの山中拓也氏による、ゲームインタビュー企画「山中拓也のGamer交遊録」。第5回はバンダイナムコエンターテインメントの玉置絢さんにお話を聞きました。後編では、クリエイター同士の制作への取り組みを熱く語っています。

目次
  1. 玉置絢さんプロフィール
  2. カリギュラ×サマーレッスンのプロデューサートーク
  3. プロデューサー兼ディレクターの強み、悩み
  4. ゲームという言葉を越え、牙城を崩す
  5. 山中 拓也

玉置絢さんプロフィール

バンダイナムコエンターテインメントで企画職。「サマーレッスン」立案・プロデューサー・ディレクター、「エースコンバット7 VRモード」プロデューサー、「エースコンバット インフィニティ」リードゲームデザイナーなど。直近の仕事は「スカーレットネクサス」のコンセプト整理担当。

Twitter:https://twitter.com/oktamajun

インタビュー:山中拓也
文・構成:近藤智

カリギュラ×サマーレッスンのプロデューサートーク

玉置:私は「サマーレッスン」の時にプロデューサーと兼任になったんですけど、山中さんはそもそも開発からプロデューサーまでやろうと思った動機は何なんですか?

サマーレッスン
https://summer-lesson.bn-ent.net/

山中:フリューという会社が特殊で、ディレクター職からのスタートという完全パブリッシャーなんです。オリジナルゲームを作ります、自分で企画しますとなった時、玉置さんでいう原田さんのような面倒を見てくれる人とか、作品はこう作っていけばいいんだよと教えてくれる人がいない。

フリュー自体のゲーム作りの歴史も他社さんと比べたらまだまだ浅くて、こういう類似タイトルがあって、こういうやり方したらうまくいったよという成功体験もない。宣伝の仕方とかも、これがいいだろうなって思うものを全部一人で手探りでやるしかない。僕も、適切に矢面に立ってくれる人がいたらプロデューサーをやっていなかったと思います。やろうと思ったというより、ブラジルで産まれてボールしかなかったから自然とサッカーが上手くなった、みたいなイメージですね。

その点、バンナムさんはやはり全員のレベルがめちゃくちゃ高いです。僕はクリエイティブ側に興味のある人間で、ビジネスの部分は本当最低限で届く人に届けばいいなみたいな感じなんです。でも、バンナムさんは会う人会う人、僕みたいにクリエイティブ側の人間かと思わせつつビジネスのこともめちゃくちゃ考えている。

玉置:ベタ褒めされてる(笑)。いやいや、失敗も数多くある会社なので、レベルが高いかは分かりませんが……。確かに、やはり人数も多いし歴史もあるので上から下への知見とか考え方の継承がブースターになってるっていうのは間違いなくあります。この歳になって後輩のプロデューサーの育成をしていると「あの時、あの人がこんなことを言っていた」という自分の受けたエピソードがそのまま次の世代の教育に使えたりとか。

でも、これはいいところと悪いところ両方あるなと。この業界は動きが激しいので、過去の経験が正しいとも限らないじゃないですか。しかし、やはり一般的な会社論と同じで、歴史や過去の成功体験が積み重なってしまうと、どうしても保守的な思考をしてしまいがちになるんですよね。

まあ、それでもうちの会社がなんとか頑張っていると言うか、面白いのが、「過去の成功体験を下敷きにした上の世代の保守的な思考に対して、一切反抗しない人もそれはそれで評価されにくい」というか、つまらないと思われてしまいがちな所ですね。どうしても勇気を出して振り切れなくて丸くなっちゃった上部組織の判断を、分かったうえで賢く勝手に振り切っちゃう奴のほうが「面白い奴だな」となる時もある。そこは会社組織というものがオーガニックに保守的になりやすいところを、エンタメ会社としてのDNAが無意識にでも危ないと思っているからこその特性なんですかね。

上の世代にお手本を示してほしい若手からしたら、一応建前では安全論も唱えて指導するけど実際にはいい塩梅に無視するところは無視して、ブッ飛んだこともやってほしい……と心では期待されている……みたいな状況に置かれると、「じゃあ、どっちにしてほしいんだよ!」っていうところもあると思いますよ。そこが、歴史とか人数とか経験が積み上がっちゃった会社だけど奇抜なエンタメが主業の会社、という世の中的にレアな組織の人材運営で難しいところではないかと。社員の立場からで言えば、社会人としての責任ある振る舞いと、ゲームクリエイターやプロデューサーとして期待される奇抜で冒険的な振る舞いと、どちらをどれぐらいのバランスでやるのか……バンナムのような会社はそういったところが難しいかもしれません。

最初に山中さんと某案件で企画を考えようと一緒に話をしたときに、山中さんが「こんなに人からダメ出しされるのは初めてで、新鮮で面白い」って言ってたじゃないですか。「Caligula -カリギュラ-」はダメ出しの結果で出来た作品じゃなく、本当に山中さんのピュアなもので作られているんだなと。色んな切り口の立場の、また世代も異なる人々の集団でプロデュースするバンナムだと「ダメ出しが一切ない」なんて考えられないので、めちゃくちゃ面白いなって思いました(笑)。

山中:僕はもう、社内で「これは面白いでしょ!」「やる価値があるでしょ」ってゴリ押しし続けたみたいなものなので。だからこそ「Caligula -カリギュラ-」は僕そのものなので、責任を取るのも僕だし、嫌われるのも僕というようなイメージで作ってますね。オリジナルゲームなんて人生で最後かもしれないし、それくらい絞り出そうという感じでした。

だから、ダメ出しがすごく嬉しかったんですよ。ある種、孤独だったというか……面白いと思うものを出しても「面白いね」「すごいね」っていう感じで、少し離れた目線で見られることが多かったので。

だから同じ目線で、僕の持ってない視野から「ここは面白いけど、ここはもっとこうできる」っていうのを話せたのがすごく楽しかったんです。それこそプロデューサーが嫌な人間になりがちなのは、ほかから価値観を吸収しづらいからかなと。

Caligula -カリギュラ-
https://www.cs.furyu.jp/caligula/

玉置:凝り固まってしまいますからね。

山中:僕がゲーム以外のアニメの現場などへ行くのも、誰かの下で働くという軸と両方持ってないと新しい価値観が吸収しづらくなるかなという懸念もあるからです。

玉置:まったく行動の順番が逆で面白いですね。バンナムでは、言うなれば「最初の原液を薄めようとするな」とすごく言われるんですよ。若手が入ってきた段階で持っている、言語化出来ない原液のどろっとしたモチベーションや価値観を、どうやったらスーパーマーケットに置けるくらいの味付けや濃度にできるか考えるのが上司や先輩の仕事なんです。素材の味を殺さないように、みんなで話し合いながらどうやってゴールに持って行くか。

すごく記憶に残っているのが企画案を上司にプレゼンしたある時のことで、だんだんバンナムのプロデューサーの仕事や企画のやり方とかも分かってきていたので、まずはこういう風に売れます、こういう市場性がありますみたいな説得する材料を最初に持ってきて、パートの最後に自分が本当にやりたいこととか欲求をスライドに書いておく、みたいなプレゼンスタイルだった時期があったんです。

そんなプレゼンをしたら、プロデューサーとして育ててくれた大恩のある上司に「お前が一番言いたいのは最後のスライドなんだから、これが最初にないのがおかしい」って言われて。

山中:いいですね、僕もそんなふうに怒られたい。

玉置:「まず最初にお前が個人的に何したいのかを言え」と。「理解されないかもしれないからって、ビビって恥ずかしそうに最後にちょこっと言う、みたいなみっともない真似をするな」と。そんな、自分がちょっと小賢しくなっている時期にちょうど山中さんと出会ったんですよ。こんなにストレートに自分のやりたいことをやっていて、かつ成功している。こういう、クリエイティビティをもつのに成功するような人生ガチャを引いた人がいるのが面白いなと思いました(笑)。

プロデューサー兼ディレクターの強み、悩み

山中:玉置さんはストレートに褒めてくれるので「こんなにプロデューサー目線を持ったクリエイターと、クリエイター目線を持ったプロデューサーってあまりいない」と言っていただけたのは、僕としてもそうありたいたいなって思っていたので嬉しかったです。

玉置:私自身もそれが理想だからですね。私も開発出身で両方とも経験しているので、仲間を見つけたというか。

業界内の会合とかで、いかにもイケイケのプロデューサータイプというか、パリッとした普通のプロデューサーの方と色々お話したりすると、よく「玉置さんがディレクターで、私がプロデューサーでゲームを作りたい」と言われるんですが、嬉しいような複雑なような感じなんですよね。そこと比べると、山中さんは私がそういうコンプレックスを持たずに接することができる相手なんですよ。社内でも、よりプロデューサー寄りの人から「ディレクターやったらいいのに」って言われるのって、結構悲しいので。

山中:プロデューサーという職業がめちゃくちゃ好きかって言われると、そうでもないんですけどね。でもプロデューサーにしかできないことって、自分の作ったものを理想の見せ方ができるっていうとこだと思うんです。プロデューサー、ディレクターどっちもやるのって地獄ではあるんですけど、理想としてはどちらもやっていたいですからね。

玉置:最近のマイブームは、自分自身がディレクターを兼任せず、他の人がディレクターをやっている所へ入っていって、ディレクターと同じ目線の理解者だけどプロデューサーとしても立ち回れる、みたいなポジションにつくことなんですけど、ディレクターの経験があるからこそという立ち回りがすごく有益に機能するし、楽しいんですよね。それこそディレクターという判断者の孤独な悩みを聞いたりとか、言葉にならない葛藤を聞き出して言語化したりとか、カウンセラーみたいなこともしますよ。

ディレクターは全く同じ目線で周りに分かってくれる人がいない役割ですし、ディレクター経験のあるプロデューサー相手だからこそ話せる愚痴みたいなものがある。それを聞きながら、じゃこうしましょうとプロデューサーのビジネス判断脳をもって提案できるという意味では、すごくいい仕事のポジションだなと思ってるんですけどね。でも、なかなか自分のアイデンティティーとしては難しい。本当はディレクションも全部やりたいから。既に不安定ですよね。

山中:確かに分かってあげるっていうのは重要で、ディベロッパー経験があるから「これを言われたらしんどいよね、でもお願いね」と言える。この「これ言われたらしんどいよね」のワードがあるかないかで全然違いますよ。

玉置:結局、人間が感情で作ってるものですからね。

山中:プロデューサーって、なかなか嫌な役回りも多いですよね。

玉置:どこでも悪役にされますよね。漫画でも。

山中:「チェイサーゲーム」とかすごいですよね(笑)。

チェイサーゲーム(画像は6巻書影)
https://www.famitsu.com/serial/chasergame/

玉置:ただ実際、開発現場からしたら「急に何かを言い出して迷惑をかけてくる奴」だし、そういうお願いの仕方をせざるをえないことが多い立場ではありますからね。

山中:プロデューサーという職業は、開発側の感覚もないと無闇にディベロッパーを疲弊させてしまいますからね。

玉置:「NEW GAME!」という漫画も開発者が主人公で、プロデューサーが厳しい人として描かれている。ただ単行本の欄外では「その人なりの苦しみがある」と書いてくれていて、分かってくれる人もいるんだなと。

TVアニメ「NEW GAME!!」公式サイトより
http://newgame-anime.com/

山中:それこそ絵を描く人がいて、音楽を作る人がいて、そうした各要素が褒められたらそのクリエイターの手柄だし、その要素を叩かれたらプロデューサーのせい。そういう役回りの職業ですし、そう思ってもらうのが健全だと思います。

玉置:そうですね。

山中:どうしてもプロデューサーは、ある程度の裁量を持ててしまう。その価値観を止めてくれる人がいないので、何となく嫌なやつになってしまうような感覚はありますよね。

玉置:人によりますけど、売るプロとか宣伝のプロとか、色々な道からプロデューサーになる人がいますが、それぞれのルートに良し悪しがあって、開発経験者のプロデューサーが必ずしも最強とかではない場面も多くありますよね。私や山中さんは開発のプロ、作る側のプロからプロデューサーになったタイプじゃないですか。だからこの感覚、分かってもらえると思いますけど。

私は、もともと開発として在籍していた開発会社に対してのプロデューサーとして仕事することも多いんですけど、そうなると状況によっては「俺たちの苦労を分かってるのに、その上でこの苦労をしろというのか?!」みたいな感じに言われてしまうこともあります。そんな状況になったらもう裏切り者扱いですよ(笑)。

でもやはり、さまざまなファクターをすべて考えた上で「これは必要だ!」と言っていますし、こちらも「面倒かもしれないけど、開発事情的に考えても実現可能ではあるだろう」って手の内も分かってますから、それはもう、とても面倒な相手だと思われてるでしょうね(苦笑)。

山中:そうなんですよ。「これはコストが高くて……」という開発の話を「いや、そんなことないですよね?」って返せてしまうから。嫌だろうなと思います。

玉置:そんな役回りなので、ある時に開発チームの偉い人で、もともと私が開発にいたときの上司だった方に「もっとプランナーさんとかディレクターさんいないんですか? このままだと人手足りないですよね?」って言ったら、「お前が戻ってきてやればいいじゃん!」って反撃されたりしましたね(笑)。

山中:開発会社出身だと、プロデューサーとしてやってるとエクセル触りたくなりますね。直接触ったほうが早い。

玉置:でも、そうやってプロデューサーの領分を超えて開発に過干渉しすぎるのは良くないですよね。そうなってしまうと開発の人が「あの人の判断と矛盾しているかもしれないことを勝手に進めても時間の無駄になる」と思ってしまって、仕様方針の細かい部分まで毎日相談や質問をしてくるようになり、その応対に時間がかかってしまって、結果全ての面で時間が足りなくなって迷惑をかけてしまう……という場合もある。どうしてもクリエーター出身の性で「本当は自分が作りたい」って思ってしまうけれど、そこを信用して役割分担はちゃんとする、みたいなところが難しいところですよね。何か悩みを吐露する会みたいになってきましたけど(苦笑)。

山中:勝手な偏見かもしれないですけど、僕らの上の世代はゲーム開発をブラックボックスにしたがるようなイメージがあるというか。どういう苦労をしているとか、それこそお金の話とか、ぼかすようなイメージを感じていて。とくに僕や玉置さんのやり方は、例えば「生産者の顔が見える」という感じですが。

玉置:実際に手をかけて作ってくださっている開発会社の人とか、色々な関係者の人があってこそだっていうところの感謝の心と、自分自身の直感で自信をもってお願いを貫き通す部分でバランスを取るのがすごく難しい。これが人によって違いますよね。

山中:そうなんですよね。あと今はお客さんからの声が直接届くので、開発の中で「誰がこの部分をやりました」みたいなところを明確にし過ぎてしまうと、その方に直接批判やヘイトが向いてしまうところもある。

そこでプレイヤーのストレスや不満に対し、矢面に立つのがプロデューサーの仕事でもあります。こうした情報の開示の仕方は課題になってくるだろうなと。

玉置:私が関わっているタイトルの中には、プロデューサーメンバーの一人として自分が関わっているけれど、矢面に立たずサポートに回っているケースもあるんです。それもやはり、やりやすいところとやりにくい部分がありますから、矢面に立ってコミュニケーションを頑張っているプロデューサーと話し合いながらやってます。そこは分業の時代になっていくんじゃないでしょうか。どちらにせよ、矢面に立つプロデューサーという考えはすごく重要になってくると思いますね。

山中:「サマーレッスン」では、玉置さんはバリバリ矢面じゃないですか。その変態性を発揮されていて(笑)。

玉置:「サマーレッスン」は、今だからこそ余計思いますけれど、やはり当時上司として面倒を見て下さった原田さん……原田勝弘(※バンダイナムコエンターテインメントで「鉄拳」シリーズなどを手がける)という男の親心みたいものがありましたね。何故かというと、最初は原田さんが矢面に立ってくれて「あの『鉄拳』を作っている人が、こんな作品を作るぞ!」とお客さんの関心を引いたうえで、VRで何をやるべきか細かいところは任せたみたいな感じでやらせてくれたんですよ。

当時は原田さんと相談しながらじゃないと作れないという部分を窮屈に感じることもありましたけど、そこは自分が子供だったなと思います。原田さんがそれまで稼いでくれていた、本人に対する注目度を貸してくれていたようなものなので。今は、いかに人の関心を集めるのが難しいのか分かりますから。

そのうえで好き放題させてもらえて、とんでもない風変わりなゲームを作ってしまったので……もう今後はそういう人生しか歩めないなと(笑)。

山中:いやー、分かります。もう真面目なもの作れないですよね。玉置さんは端的に言うと、フィクションの世界に人間を叩き落とすためにゲームを作ってるじゃないですか。僕はフィクションをノンフィクションの糧にして貰いたくてやっているんです。

―玉置:g:現実の世界のためにフィクションがあるっていう決めつけが、私にとってはすごく嫌な考え方なんですよね。なんでフィクションが現実の道具として使われなきゃならないんだと。

小学生の時に聞いたドラマCDの脚本で、フィクションは現実を逆襲するっていうセリフがあって。それの影響でずっとそうなっているんですよ。後々分かったんですが、その脚本を書いていたのは押井守さんとか伊藤和典さんでした。その強い影響なんですよね。

山中:僕は、フィクションに没頭したままだと現実にいる自分がどんどん辛くなっていくだけだから、辛い現実で戦うための栄養素として何かを作るみたいな。最終的に現実に向かせようとする僕と、玉置さんは最終的にはそれこそフィクションですべてを満たせるようにするのを理想としているところは、本当に真逆ですよね。

玉置:今の現実はフィクションが対等な扱われ方をしていく進化の途中の、中途半端な状態だと思っています。もっと将来的には、フィクションと現実のどっちが上かみたいな議論自体が無意味になるぐらいに融合すると思っているので。でも、今我々がいるこの時代に対しては、山中さんと私のどちらも真摯な態度だと思いますよ。

山中:今は仲良くできると思うけど、最終的には戦わなきゃいけない。僕はすべてフィクションと現実が同じレベルで実存する世界を止めなきゃいけない。

玉置:私は「Caligula -カリギュラ-」で例えるなら、帰宅させないように頑張っている側ですね。何の歌も歌わないし曲も作れませんけど、あなただけのリアルフィクションを作っていく。

山中:やっぱり玉置さんには革命家みたいなところがありますよね。僕は多分、世界を変える側ではなくて、今この世界はこうなってるから、その時のうまい付き合い方を探しに行きましょうと。わりと対症療法的なところがあるので、玉置さんのそういうスケールの大きさみたいなものはやっぱ同世代のクリエイターとして憧れる部分ですね。

玉置:それは言い方を変えれば、山中さんは世界を守ってる人とも言えて、世界を変えようとしてる私の側は世界を壊すとも言えるじゃないですか。やはり、最終話でヒーローなのは山中さんの方だと思いますよ(笑)。

ゲームという言葉を越え、牙城を崩す

山中:今までの人生で、1番刺さったゲームのキャラクターっています? 僕らってもうこの年になるとゲームを俯瞰で見がちじゃないですかなんか。ゲーム自体は好きになっても、このキャラクターが現実の垣根を越えて好きという体験を最近していなくて。ちなみに僕は「私立ジャスティス学園」の風間あきらです。

玉置:たまに聞かれるんですけど、毎回に答えに困ってて……。ゲームではありませんが、フィクション作品全体で1番好きなのは森 博嗣先生の小説「すべてがFになる」の真賀田四季博士です。ちょっと思想にも影響を受けているかもしれないですね。むしろ、1番好きと思えるゲームキャラクターがいないから、ずっとキャラクターを作り続けているのかもしれません。

山中:恋愛アドベンチャーゲームを楽しんでいても、その感覚があるんですね。

玉置:もちろん恋愛アドベンチャーゲームでは、それぞれ作品で1番好きなキャラクターはいますよ。でも、それぞれの作品に好きなキャラクターがいるという感じで、このキャラクターがいるから今後の人生含めて満足みたいなのはあんまり。でも大体、意志が強くて、大人しめに見えるけれどすごく個性的な一面のあるキャラが好きですね。例えば「メモリーズオフ」の1作目で1番好きなのは双海詩音というキャラクターです。「キミキス」だと1番好きなのは二見瑛理子ですね。たまたまですけど両方読み方が「フタミ」ですね。弊社に同じ名字読みですごく仲のいい先輩プロデューサーがいるのですが、その人と出会って以降、苗字が一緒で微妙な気持ちになってます……これ本人には言ったことありません(笑)。

結構ミーハーで、ベタなキャラクターが好きでなんですよね。「ファイナルファンタジータクティクス」も、なんだかんだ1番好きなのはアグリアスだと思うし。「サマーレッスン」で3キャラクターを作った時もよく「玉置さんが1番好きなのは誰なんですか?」って聞かれましたが、好みの幅が広くて。

山中:「キミキス」だと僕は祇条深月ですね。ちょっとずれますけど、実際自分の作っているゲームで好きなキャラクターを聞かれても困りますよね。作る側にいると、本当に平等に好きなので。

玉置:好きでもないキャラクターが入っている状態でできるほど、ゲーム作るのってそう楽じゃないですからね。

山中:「Caligula -カリギュラ-」はキャラクター数も多いので「このキャラ好きなんじゃないか」とか「このキャラ好きじゃないからこういう扱いなんでしょ」とか言われるんですけど「いや、全員好きだからそうなるんだよ!!」って。

「サマーレッスン」みたいなゲーム性だと、作り手の「こういう女性が好き!」という嗜好が入ってるって思われがちじゃないですか?

玉置:そうですけど、そんなことはありません。「サマーレッスン」にさっき挙げたような個人主義が強くてちょっと周囲を線を引きがちなキャラはいませんよね。それってVRというフィールドだと、キャラクターとの距離の近さが重要だからなんです。さっき挙げたような、近づいてこないのが正解のキャラクターが距離を詰めてきたらおかしいですから。だからコミュニケーションが得意で人と距離を縮めるのが上手いキャラばかりになってしまうんですね。

そもそも「サマーレッスン」は、別に恋愛ゲームとして作っていません。キャラクターを通して、VRってこんなに凄いんだと分かってもらうためのものです。逆算して、どんなキャラクターだったらその人の集中を削ぐことなく、キャラクターとの体験で「未来が来た!」って思ってもらえるか、みたいな所がポイントでした。1番やりたいのは未来を提示することなので、そのための案内役としてのキャラクターなんです。好きになってもらいたい気持ちはもちろんありますが、そういう順番では作っていません。

山中:本当に作ってるものが全然違うな。僕はゲーム作りでお客さんの想像力に頼ってる部分があって。実際に制作予算的に作れるものよりお客さんの想像力の方が強いからそうしてるんですけど、その想像力を超えるようなものが作れる環境があるならその方がいいに決まっている。

玉置:そこのアプローチの議論でいうと、個人的には、MyDearestさんのVRタイトルの「ALTDEUS: Beyond Chronos」がすごく面白かったですよ。私が「サマーレッスン」でやろうとしてできなかった、ストーリーテリングをやっている。VRなんだけど、ノベルゲームなんですよ。立ち絵みたいにキャラクターが出てきて、本当によくできていて感動します。

ALTDEUS: Beyond Chronos
https://altdeus.com/

「ALTDEUS: Beyond Chronos」もそうなんですけど、VRも想像力を借りるのは必要なんですよ。想像力を借りた形でのゲーム作りこそ、ゲームの醍醐味かなと。例えばVRでいうと「ACE COMBAT 7: SKIES UNKNOWN」では、VR専用コンテンツを作りました。で、そもそも戦闘機で空戦をするゲームである「エースコンバット」はVRだろうがなんだろうが、空の上で何キロも先にいる敵は見えないじゃないですか。だから耳に入ってくる音声などで想像させて、地上の部隊を助けなきゃいけないというシチュエーションを作る。地上の部隊なんか遠くから見たら1ドットですけど、そこで起きているドラマを無線で聞いて、助けて、感謝されて嬉しいみたいな。そういうことが大事ですし、VRモードもその心意気に沿って作っています。そういう体験ではどこまで技術が進んでも想像力が不可欠ですから、それを書いてくれるシナリオライターさんの芸はすごいですよ。

山中:ではそろそろ時間なので……最後に玉置さんへ、締めの質問を投げておきますね。ずばり、玉置さんにとってゲームとは?

玉置:ゲームに育てられて、ゲームで飯を食わせて貰ってる一方で、ゲームという言葉を越えなきゃいけない、要するにあなたはゲームを作ってる人なのねって言われたくないみたいなところは常に思っています。「ゲーム」は、いつか壊したい言葉でもあるので、偉大な師匠のような存在で、倒さなきゃいけないストーリーの途中にいるような感じです。残りの人生の数十年では100%完遂まではできないと思いつつですけど、ゲームという言葉を全部無くして、自分が作った言葉に全部置き換えてみたい。

そこまでいかなくとも、何がゲームかという定義はどんどん変わっています。私にとっては、いつかその牙城を崩すべき存在という感じですね。

山中 拓也

ゲームの企画、シナリオ、プロデュース、ディレクションなどで活動中。代表作はアニメ化も果たした「Caligula -カリギュラ-」シリーズ。最新作の「カリギュラ2」では全編のシナリオも担当。元カウンセラー志望で心理士資格を取得していることもあり、人間心理と現代病理を追求した作風が特徴。

Twitter:https://twitter.com/pug_maniac

※メーカー発表情報を基に掲載しています。掲載画像には、開発中のものが含まれている場合があります。

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