アニメ評論家・藤津亮太氏が話題のアニメを紹介する「ゲームとアニメの≒(ニアリーイコール)」。第34回は2022年1月から放送を開始し、現在は第2クールに突入しているTVアニメ「薔薇王の葬列」を取り上げます。

ゲームとアニメは本来異なる媒体ですが(≠)、その中での共通項(≒)となる部分にフォーカスしたいという思いから立ち上げた本連載。毎回話題のアニメをアニメ評論家の藤津亮太氏の切り口で紹介しつつ、Gamer編集部からはそのアニメがどういったゲームファンにオススメできるかをピックアップしていきます。
第34回は、シェイクスピアの史劇「リチャード三世」を原案に、菅野文先生が描く運命のダーク・ファンタジーのTVアニメ化作品「薔薇王の葬列」を取り上げます。2022年1月より連続2クールで放送中です。
こんなゲームファンにオススメ!
- 「NieR」シリーズや「ウィッチャー」シリーズなどに代表される、ダークファンタジーの世界観で展開するゲーム
- ファンタジー世界や歴史背景を土台にしたストーリーを楽しめるアドベンチャーゲームを数多く展開する「オトメイト」ファン
第34回「薔薇王の葬列」
ある作家は、清朝最後の皇帝・溥儀を主人公にした映画「ラストエンペラー」を評して「主人公が『オープン・ザ・ドア』と言い続ける作品」と評したと記憶している。それにならうなら「薔薇王の葬列」は、「主人公が『“楽園”に至りたい』と願い続ける」物語だ。
本作の原案はシェイクスピアの「ヘンリー六世」と「リチャード三世」。王位を巡るヨーク家とランカスター家の戦い――薔薇戦争の趨勢が物語の大きな縦糸となった物語だ。
シェイクスピアの描いたリチャード三世は、身体に障害を持ち、残酷な性格でかつ大胆な詭弁を弄する稀代の悪人であった。そうしたイメージが広く知られるリチャード三世を、菅野文の原作は、男女の2つの性を持ち、“楽園”を求める孤独な人物として翻案し描き出した。ここに本作の“発明”がある。
「薔薇王の葬列」のリチャードは、母セシリーから「悪魔の子」として疎んじられる一方、自分と同じ名前の父ヨーク公爵リチャードには強い尊敬と愛情を感じて育つ。ヨーク公リチャードが語る王冠=黄金の輪の素晴らしさ。父はリチャードに「あの輪の中には楽園がある」と語る。それがリチャードの孤独な人生の指針となっていく。
このような物語をアニメでは、絵画のような彩度の低い暗く質感のある背景と、繊細で華麗なキャラクターの組み合わせで語っていく。止め中心でみせるその語り口は史劇を目指さず、むしろ各キャラクターの心情に寄り添っていく。だからこそキャストの熱演は本作の聞きどころとなっている。
本編は4月から第2クールに入り、いよいよリチャードが王冠に向かって動いていく展開が動き始める。だが、ここで思うのは観客である我々は、王冠=黄金の環=その中にある楽園という構図をそのまま信じていいのだろうか、ということだ。
全ては父ヨーク公爵リチャードが語ったことである。リチャードにとって、この「父が語った理想」こそ、理想であると同時に、自分を縛るものになっているのではないか。彼が求めているのは本当は、彼が思っている“「楽園」とは別のものではないのか。望む愛を得られず彷徨するリチャードの姿を見ているとそんなことが脳裏に浮かぶ。
劇作家の木下順二は「望めば望むほど夢が遠ざかっていく状況」を「劇的」と言い表した。リチャードもまた、楽園を求めれば求めるほど楽園が遠ざかる、「劇的」状況を生きているのではないか。
作品はここからがクライマックス。リチャードが本人も気づかずに望んでいる、真の「楽園」とはなにかのか。そこを見届けたいと思う。
「薔薇王の葬列」公式サイト
https://baraou-anime.com/
藤津亮太(ふじつ・りょうた)
アニメ評論家。1968年、静岡県生まれ。雑誌・WEB・BDブックレットなど各種媒体で執筆するほか、朝日カルチャーセンター、SBS学苑で講座を担当する。著書に『「アニメ評論家」宣言』(扶桑社)、『チャンネルはいつもアニメ―セロ年代アニメ時評―』(NTT出版)、『声優語~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~』(一迅社)、『プロフェッショナル13人が語るわたしの声優道』(河出書房新社)などがある。毎月第一金曜日には「アニメの門チャンネル」(https://ch.nicovideo.jp/animenomon)でアニメの話題を配信中。
(C)菅野文(秋田書店)/薔薇王の葬列製作委員会
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