ジー・モードより2023年8月31日に発売される、Nintendo Switch/Steam向けピクチャレスク・アドベンチャー「OU」のレビューをお届けしよう。
本作は企画・脚本・アートを幸田御魚氏が手掛け、開発はroom6、音楽は椎葉大翼氏が担当したタイトルだ。発表時から、描き込まれた背景とキャラクターのアニメーション、孤独と温かさが同居したようなBGMの旋律が、唯一無二の作品世界を演出し、インディーゲームファンから注目されてきた。
このたび筆者は発売前の「OU」を“物語の結末”と言えるところまでプレイできた。含みのある書き方だが、こうした表現を使った理由はレビューを読み進めれば納得していただけると思う。物語の直接的なネタバレは避けるが、その構造に言及する箇所があるので、ゲーム内容をまったく知りたくない方は、注意してほしい。
このレビューよりも、BitSummit Let's Go!!にあわせて実施したインタビューや、「OU」完成報告会のレポート記事のほうがネタバレ度はさらに低いと思う(インタビューに関してはほぼゼロと言える)ので、まだ読んでいない方は、こちらを先に読むのもアリかもしれない。
プレイヤーの興味・関心に応じて味わいが深まる、ウクロニアという世界
不思議な世界、“ウクロニア”で目覚めたOUは、尻尾に火が付いたオポッサム“サリー”と出会う。サリーは道案内をしながら、このウクロニアがどういった世界なのかといった知識を、OUにもたらしていく。言葉を発さないOUに代わって、本作で狂言回しを務めるのはこのサリーなのだ。
ウクロニアはいくつもの場面に分かれており、OUたちは場面と場面を移動するとき“水の中に飛び込む”必要がある。多くの場面には進んでいく先に飛び込むための水場があるが、もし無ければ少し頭をひねって水場を自分で作る必要が出てくる。移動する前の場面と、水の中に飛び込んだ先にある場面とは、脈絡がない。
この「水の中に飛び込んでシーンを移動する」イメージが「OU」の構想でいちばん最初にあったものであることがインタビューなどで明らかになっている。場面転換の“脈絡のなさ”によって生み出される夢の中をさまよっているような体験こそが、「OU」の根幹と言えるのかもしれない。
それぞれの場面の背景に特徴的なものがある場合、その多くには“ふせん”を貼り付けて、対象物に関するテキストが読める。直接ふせんを貼り付けられない場所に位置するものには、ふせんを投げ付ければ届く場合も。同じような仕方で辺りを調べていくと、ゲームの進行に関わるアイテムが手に入ったり、その後の展開が変化する選択肢が現れたりする。
新たなふせんが手に入ることもあって、異なる絵柄のふせんをコレクションしたり、気分によって使い分けるといった楽しさもある。一部には特殊な能力が宿ったふせんもあり、これがゲームの進行上、必要になってくる場合も。
能力のないふせんをただ貼るという行為自体が、ゲームの進行に必要となる局面はほとんどない。けれど、ふせんを貼ることで綴られる詩的なテキストは、「OU」の作品世界をより深く味わう上で重要なものとなる。それに、進行に必要なものもまた、同じように背景にある気になるものを調べていくことで見つかる場合が多い。
プレイヤーの「ウクロニアという世界への興味・関心」こそが、「OU」がもたらす体験をより良いものにしてくれると言えるだろう。幸田御魚氏によって細部まで描き込まれた渾身の背景が、作品世界を隅々まで見て回り、その情景に思いを馳せたくさせてくれるのだから、本作に心を惹かれた人ならば心配はいらない。
ちょっとした謎解き要素もあるが、少し間を置くとサリーがヒントをくれたりと、難しさから進行不能になることは無いだろうと思う。ゲームを進めるとすでに通った場所に戻れる水場も現れるので、何をすればよいか分からなくなったときは、来た道で見落としたもの、試していないことがないか、確認してみるとよいかもしれない。
“無数の結末がある”こと自体に意味がある物語
ウクロニアに住まう者は、“イェニース”と“セメリオーディス”の2種類に分けられるという。自我を持つ者は皆イェニースであり、OUたちを見つけると襲い掛かってくる“サウダージゴースト”もイェニースであるらしい。セメリオーディスも確かに生き物のような姿で存在しているが、自我は持っておらず、サウダージゴーストのような危険もないようだ。
セメリオーディスたちは“基礎の者”とも呼ばれており、ウクロニアの成り立ちに深く関わっている。こうした情報がゲームを進めるごとに断片的に語られ、やがてはウクロニアとはどんな場所なのか? そして、OUとは何者なのか? といった部分が、物語の核心として紐解かれていく。
すでに完成報告会などでも明かされているとおり、「OU」は周回プレイを前提としたゲームとなっている。また、各周回の中でもプレイヤーの選択によって結末が分岐する。
周回プレイによって紡がれる物語は、まったく異なる味わいを持つものばかり。それぞれの味わいの違いは、異なるものが用意されたBGMによってもたらされる部分も大きく、OU、サリー、そしてプレイヤーの想いに呼応したようなギターの旋律に心を揺さぶられる。はたまた「音楽が止む」ことが、プレイヤーの情動を大きく揺さぶってくる局面もあった。
そして“無数の結末がある”こと自体も、物語の核心に対して意味があるものだったと、最後のエンディングを見届けた人ならば思えるだろう。作品世界の構成要素にはプレイヤーに解釈を委ねているものも多くあるが、きっと物語全体に込められた“祈り”は、多くのプレイヤーの胸へと真っ直ぐに響くはずだ。
ふと思い出したとき、きっとまたこの世界に浸りたくなる
「ゲームの形をした何か。」――このキャッチコピーは、本当に見事に「OU」という作品を言い表していると思う。「OU」に一般的なゲームで得られる楽しさや達成感を求めると、それを満たすものはほとんど得られないだろう。
しおりの使い分けによるちょっとした謎解きはあれど、パズルを解くようなカタルシスのあるものではない。周回プレイを踏まえると、同じ場所を何度も訪れることになるのも、背景として描かれたウクロニアの景色を「ゲームプレイの中で通りすぎるもの」としか捉えなければ、少しばかり退屈に感じるかもしれない。
本作をプレイしているときの感覚は、絵本を読み、そこに描かれたイラストと、綴られた文章を1ページ1ページ、物語の世界に浸るように噛み締めていくようなものだ。“水の中に飛び込む”ことによる移動が、次のページに描かれている未知の場面への期待を膨らませながらページをめくる瞬間を思わせるのも、そう感じる要因として大きいのだと思う。
同時に、きっと子どもの頃に触れても楽しめるだろうけれど、大人になってから触れると、また違った味わいが感じられそうなところ――そんなところも、思い出の片隅にある子どものころ夢中になった物語を彷彿とさせるのかもしれない。
結末を見届けてからしばらく経って、ふと思い出したときに、またあの世界に浸りたくなる。そして、もしかしたら以前とはまた違った感慨が得られそうな気がする。筆者にとって、「OU」はそんな気持ちにさせてくれる作品だった。
幸田御魚氏の極めて個人的な、それでいて普遍性を持った“祈り”が込められたこの作品は、少しだけ人を選ぶかもしれない。けれど“選ばれた”人にとっては、きっとそのときどきで抱えている心の隙間をぴったりと埋めるように、形を変えながらも寄り添ってくれる作品になるのではないだろうか? そんな本作の印象は、OUの旅路をいつもすぐそばで見守ってくれたサリーと、少し似ている気がした。
My Nintendo Store
https://store-jp.nintendo.com/list/software/70010000066765.html
Steam
https://store.steampowered.com/app/1633430/OU/
(C)G-MODE Corporation
※画面は開発中のものです。
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