【中国ゲーム文化を読む by UCG JAPAN】第16回「中国コンソール市場の三十年」互換機、規制、そして再興 その3

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中国ゲームメディアUCGによる連載企画第16回は、UCG本誌で掲載されたコラムの翻訳版「中国コンソール市場の三十年」第3回をお届けする(全4回)。

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2000年5月9日――多くの人々にとっては、ごく平凡な一日だっただろう。一般的な年表にも、特筆すべき出来事は記録されていない。しかし、中国のゲーム産業にとっては、まさに青天の霹靂ともいえる出来事が起こった日だった。

この日、あるメディアが「コンピュータゲームは子どもを狙った“電子ヘロイン”である」というタイトルの記事を発表した。違法ネットカフェへの“潜入取材”という体裁で、「被害者」や「無関心な少年」、さらには「利益だけを追求する悪質業者」の証言を交えながら構成された記事だった。「より幼い子どもから金を奪う」「コンピュータゲームは麻薬、ヘロインそのものだ」といった刺激的な表現が並び、特に保護者に対して、ゲームの危険性を強く印象付ける内容となっていた。

規制の中で生まれたゲーム文化

今日の視点から見れば疑問の残る内容だったが、当時は大きな反響を呼び、世論の流れに乗ってゲームへの批判は一気に過熱した。その勢いは、まるで家庭用ゲーム機そのものを社会から排除しようとするかのようだった。

そしてわずか1か月後の2000年6月、複数の中国政府部門が連名で「電子ゲーム営業施設に対する特別管理の実施に関する意見」を発表する。名目上はゲーム営業施設の規制を目的としたものだったが、その結果、中国国内では家庭用ゲーム機の正規販売ルートが事実上、完全に断たれることとなった。

もっとも、家庭用ゲーム機が正規ルートで中国本土に入らなくなる状況が、永遠に続いたわけではない。大きな扉は閉ざされたものの、その脇にはわずかな“隙間”が残されていた。ソニーや任天堂は、その隙間を通るように、迂回的な方法で再びゲーム機を私たちのもとへ届けようとしていく。

大型チェーンの量販店に足を運ぶと、ガラス張りの高級感あるショーケースの中に、高価なフィギュアや最新の“ハイテク製品”と並んで、ひときわ目を引く形状のゲーム機がいくつも展示されていることがある。家庭用ゲーム機から携帯型ゲーム機まで、その種類はさまざまだが、そこには共通する一つの名前がある――「神遊(iQue)」だ。

神遊科技について語るうえで欠かせないのが、同社を率いた顔維群博士である。彼はOpenGLグラフィックシステムの共同発明者の一人であり、米シリコングラフィックス(SGI)の上級副社長も務めた人物だ。SGIは、任天堂がNINTENDO 64を開発する際の主要な技術パートナーでもあった。

任天堂がNINTENDO 64を中国市場に投入しようとしていた当時、ゲーム分野での起業に強い意欲を持ってい顔維群博士は、まさに理想的なパートナーだったといえる。神遊科技(iQue)は、顔維群博士と任天堂がそれぞれ3,000万ドルを出資し、2002年に台湾で設立したゲーム・デジタル機器企業である。その後、蘇州に「神遊科技有限公司」を設立し、中国本土での市場展開を担う体制を整えた。こうして任天堂は、神遊科技を通じて中国本土市場への再進出を果たすことになる。

2003年に発売された「神遊機(iQue Player)」は、中国本土向けに投入された最初の家庭用ゲーム機だった。実質的にはNINTENDO 64をベースとした製品だが、独自の工夫も多く盛り込まれていた。筐体は新たに設計され、本体とコントローラーが一体化した構造を採用。外観も従来のゲーム機とは異なる、斬新なものとなっていた。

非常に洗練されたデザインの「神遊機(iQue Player)」。
非常に洗練されたデザインの「神遊機(iQue Player)」。

ソフトの海賊版対策として、これまでカートリッジにこだわってきた任天堂は、当時の岩田聡社長の方針のもと、新たな方式を採用した。それは、かつてのディスクシステムにおける“書き換えサービス”に近い仕組みだった。本体には書き込み可能な半導体メモリ(64M NANDフラッシュメモリ)を搭載し、プレイヤーは48元を支払えば、店舗で新しいゲームデータを書き込んでもらうことができた。

この方式自体は、すでに海賊版市場でも使われていたものだ。しかし任天堂は、あえて低価格で正面から対抗しようとしたのである。そこには任天堂なりの“矜持”が感じられると同時に、「ゲーム機禁止令」を回避しながら、自社主導の流通モデルを成立させようとする狙いもあった。さらに本体価格も498元と比較的安価に設定されていた。2003年当時としては決して手の届かない価格ではなく、1990年代半ばのFCやその互換機と大きく変わらない水準だった。

しかし、これほど入念に練られた戦略も、中国市場でFC時代のような成功を再現するには至らなかった。

任天堂は中国市場に最先端の製品を投入したわけではなく、発売からすでに6〜7年が経過したハードを使って市場の反応をうかがった。一方、当時の中国市場では、PlayStation 2の並行輸入品がすでに広く普及しており、PCゲーム、とりわけオンラインゲームも勢いを増し始めていた。さらに神遊機の登場時には、次世代機にあたるニンテンドーゲームキューブも、並行輸入ルートを通じて多くのプレイヤーの手に渡っていた。かつて筆者がAtari 2600を初めて目にしたときと同じように、当時としてもやや見劣りする神遊機のグラフィックは、プレイヤーの関心を引くには十分ではなかったのである。

こうした状況を受け、神遊科技は当初検討していたゲームキューブベースの「神遊ボックス」の導入を断念し、携帯型ゲーム機市場へと舵を切る。2004年の「小神遊」、2005年の神遊版ニンテンドーDS、2006年の神遊DS Liteといった製品は、並行輸入品と競争できる価格設定に加え、改造・コピー技術の普及も追い風となり、一定の販売実績を上げた。しかし、それは当初掲げていた構想から大きく離れた展開でもあった。

神遊機は成功には至らなかったものの、神遊の他の製品は中国で大きな人気を集めた。
神遊機は成功には至らなかったものの、神遊の他の製品は中国で大きな人気を集めた。

その後、規制がさらに強化されたことで、Wiiの導入計画も頓挫。神遊科技の存在感は次第に薄れていった。ブランド自体は現在も残っているものの、かつてのように任天堂の正規ハードを中国市場へ届ける“窓口”としての役割は、すでに失われている。

もちろん、中国市場への再参入を試みたのは任天堂だけではない。長年のライバルであるソニーも、同じようにPS2の正規販売を目指していた。2003年5月、ソニーはPS2を中国市場に投入するにあたり、「コンピュータエンターテインメントシステム」という名称を採用した。これは、かつて任天堂がFCを北米市場に投入する際、「Nintendo Entertainment System(NES)」という名称を用いたのと同様、ゲーム機という印象を和らげるための戦略だった。

中国版PS2の正式名称は「50009型 シルバー(サテンシルバー)モデル」。
中国版PS2の正式名称は「50009型 シルバー(サテンシルバー)モデル」。

しかし、最大の障壁となったのは、すでに形成されていたユーザー市場だった。当時、中国国内には数十万台規模のPS2並行輸入品が流通しており、その多くは何らかの形で改造され、コピーソフトを起動できる状態にあった。ハードもソフトも比較的容易に入手できたうえ、DVDの普及に伴って、2003年にはPS2のコピー対策も突破されてしまう。オンラインアップデートによる対策が存在しなかった当時、コピーソフトは瞬く間に市場へ広がった。これは正規版PS2にとって、避けて通れない致命的な問題となった。

さらに、当時の中国では購買力がまだ十分とはいえず、多くの保護者が家庭用ゲーム機に否定的な見方をしていたことも、市場の先行きを不透明にしていた。ソニーにとっては、いかにユーザーのニーズを捉えるかが大きな課題だったのである。

こうした状況のなか、ソニーはPS2本体の価格を1,988元に設定した。これは並行輸入品より20%以上高い価格だった一方、ソフトは168元と比較的抑えられていた。ただし、PCゲームと比べれば依然として高価だった。また、正規版ソフトが再び並行輸入されるのを防ぐため、中国版にはリージョンロックが施され、他地域のPS2では起動できない仕様となっていた。一見すると市場対策として理解できる措置だが、現在の視点から見れば、かなり厳しい制限だったともいえる。しかも、このリージョンロックは双方向で、中国版PS2でも日本・北米・香港版のソフトを起動することができなかった。

このように機能を制限された状態で、並行輸入品と競争するのは極めて不利だったといわざるを得ない。ソニーはネットワーク機能を備えたPS2を活用し、中国のオンラインゲーム市場への参入も試みたが、ハードの普及が進まなかったため、この計画も大きく広がることなく終わった。

投資心理学には、「ワニの法則」と呼ばれる有名な考え方がある。「ワニに足を噛まれたら、生き延びるためには、その足を犠牲にするしかない」というものだ。当時のソニーと任天堂にとって、中国本土市場からの撤退は痛みを伴う決断だった。しかし、状況を考えれば、そう判断することは決して難しくなかったのかもしれない。

その結果、中国における家庭用ゲーム機の正規市場は、およそ10年にわたって低迷することになる。しかし、ゲームそのものが私たちの生活から消えたわけではなかった。ネットカフェは一定の影響を受けたものの、地域によっては家庭用ゲーム機を遊べるレンタルゲームルームも残っていた。SFCからPS、さらにPS2、そしてPS3やXbox 360へと世代が移り変わるなかでも、そうした場所は学生たちにとって、変わらず放課後の娯楽の場であり続けた。

やがて年齢を重ねるにつれて、私たちはレンタルゲームルームを離れ、自分自身で家庭用ゲーム機を所有するようになる。「ゴッド・オブ・ウォー」の暴力的な爽快感、「Wii Sports」の気軽な楽しさ、「Gears of War」の圧倒的なスケール感。香港版などの並行輸入品が、ECサイトや物流網の発展によって全国へと広がり、私たちはこうした作品を自宅で楽しめるようになった。その過程で、改造やコピーも広く普及していった。

かつては手の届かない存在だった家庭用ゲーム機は、非正規なルートを通じてではあったものの、少しずつ人々の生活に溶け込んでいった。一方で、正規品とコピー品のどちらを選ぶべきかという価値判断も、多くの人にとって次第に曖昧になっていったのである。

この長い停滞期に最も大きな影響を受けたのは、本来であれば成長していたかもしれない中国の家庭用ゲーム開発産業だったといえる。ソニーや任天堂は当時、中国国内の開発会社を育成し、コンシューマーゲームの開発へと導こうとする取り組みも行っていた。しかし、オンラインゲームがもたらす大きな利益と、家庭用ゲーム機の販売をめぐる不確実性を前に、多くの企業はコンシューマーゲーム開発から距離を置くことを選んだ。その結果、中国産ゲームが家庭用ゲーム機向けに展開される例は限られ、中国の本格的なコンシューマーゲーム開発の基盤は十分に整っているとはいえない環境となった。

UCG JAPANは、創刊28年を迎える中国のゲームメディアUCG Mediaの日本における活動拠点です。中国本土ではゲーム雑誌「ゲーム機実用技術」の出版をはじめ、WEBやオフラインイベントなど多様なプロモーションチャネルでゲーム情報を発信しています。この連載では、日本の皆さんに現在の中国におけるゲーム文化をお伝えしていきます。

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