スマホゲームアプリ「ブルーアーカイブ -Blue Archive-(ブルアカ)」のメインストーリーの魅力を紹介する連載。第4弾は「エデン条約編」3章~4章。

目次
  1. 仄暗い空気感が、死を強く意識させる
  2. 不相応に大人びた少女たちが見せる感情の昂り
  3. これは許しの物語

「劇場版ブルアカ」と呼んでも差し支えないであろう「エデン条約編」3~4章。メインストーリー最大のボリュームを誇るだけでなく、読んでいるこちらの感情の振れ幅も最大級。もはやネタバレなしでどうオススメすればいいのか困っていますが、個人的に最も好きなシーンであるアズサとサオリの関係を中心に据えて語っていきましょう。

仄暗い空気感が、死を強く意識させる

百合園セイアの語らいから始まる「エデン条約編」3章。セイアは、キヴォトスにおける「死」の概念を口にします。

基本的に、キヴォトスの人々は銃火器で撃たれようとそう簡単に死ぬことはありません。御存知の通り、ここまでのメインストーリー、あるいはイベントストーリーなどで、キャラクターたちがドンパチしたり爆発に巻き込まれたりするシーンは再三再四描かれています。

キヴォトスは、死が見えにくい世界であることは確かです。それでも生きている以上、死なないことはあり得ないとセイアは言います。

メタ的に表現するならば、この「エデン条約編」というストーリーにおいては、キヴォトスの人間でさえも死と隣り合わせですよ、ということを読者に伝えているわけです。「ブルアカ」の世界観の根幹を一時的に覆すことによって、この「エデン条約編」の後半は特に緊張感が高まっています(余談ながら、4章のラストシーンで通常の状態……すなわち、いつものドンパチやっても大丈夫な状態に戻ったことを示す演出は非常に秀逸です)。

この緊張高まるストーリーの中心にいたのは、やはりアリウススクワッドでしょう。キヴォトスには存在しないはずの巡航ミサイル、そして「ヘイローを壊す爆弾」といった兵力を抱える彼女たちの存在が、「ブルアカ」において薄らいでいたはずの死の概念をさらに強くさせています。

アリウススクワッドが取った行動は、救われなかった者たちの反逆……とでも表現できるでしょうか。彼女たちが抱える憎悪がいかに育まれてきたのかは本編をご覧になっていただくとして、この憎悪とともに刷り込まれた概念が「vanitas vanitatum, et omnia vanitas」、すなわち「全てはただ虚しいもの」です。

全てはただ虚しいもの……諦観をも超えたこの概念を抱えるアリウススクワッドのリーダー・錠前サオリですが、2つだけ執着するものがあります。1つは秤アツコ、戒野ミサキ、槌永ヒヨリらスクワッドの仲間たち。そして「元」仲間であり、教え子でもあった白洲アズサです。このアズサとサオリの関係性が、非常にそそられるんですよね。

不相応に大人びた少女たちが見せる感情の昂り

アリウスにいたアズサもまた「vanitas vanitatum, et omnia vanitas」を心に抱える少女の一人です。しかしながら彼女は、全ては虚しいものだからといって最善を尽くさない理由にはならない、という考え方をする子でもあります。これは「エデン条約編」1章・2章から自身で口にしていることです。

そんな考え方をするがゆえに、与えられたミッションとは裏腹に、自らの考えをもって物事を進めていったアズサ。その結果、彼女は補習授業部という場所で、仲間とともにいること、そして学ぶことの喜びを知りました。大げさな表現かもしれませんが、生きる意味を見出したと言っていいでしょう。

そのアズサに対して、クソデカ感情をぶつけていったのがサオリです。

アズサが手にした「きれいな場所」「光」「明るい場所」を、「何の意味がある」「なぜ足掻く」「すべてはムダ」と否定するサオリ。アリウススクワッド沈着冷静なリーダーがそれだけの感情を露わにするのは、迫害を受けていたたアリウスだからこそ、仲間意識が強く、そこから抜け出していった存在には厳しいという一面があるかもしれません。

ただそれよりも、アズサが手にしたものこそが、サオリが喉から手が出るほど渇望していたものだったのではないかとも思うのです。

そんなふうに想像した上で、サオリに埋め込まれたアリウスの価値観がどこから来たのかを知ると、サオリという存在がまた違った側面を見せ始めます。ここはぜひ、物語を通じて体感していただきたいところです。

アズサは、自分に執着するサオリとの決着をつけることを決意。この年端も行かぬ小さな女の子が取る一連の行動と口にする言葉には、胸にこみ上げてくるものがあります。

せっかく普通の青春を知ったにもかかわらず、事態を収拾するために、人を殺めることを教えられた存在へと戻っていくことを決心するアズサ。補習授業部で育まれた青春や友情は、アズサにとって大切なものになっていたはずです。その象徴として描かれていたとあるアイテムを、彼女は人を殺めるために使うことになるのです。

自分はもうあの場所に戻らない。そうけじめをつけるために、あのように使うのはどれだけの葛藤があったか。雨の中、ひたすら一人で謝り続けるアズサの姿には、ただただ胸が苦しくなります。

でも、この物語はそこで終わらないんですよね。アズサは「まだ挫折してる場合じゃない」と自分に言い聞かせて立ち上がる。動いて、考えて、前に進もうとする。戦うことしか知らなかったアズサが、一番大事なことを知っているのです。

サオリはサオリで、窮地に陥ったアズサの一撃で仲間を傷つけられ、感情を露わにします。冷静で、常に感情を殺している人物に見えるサオリとアズサ。そんな彼女たちにも大切なものがあり、それをきっかけに押さえていた思いが表出する。「エデン条約編」には実に多くの見どころがありますが、人の感情にことさら興味をそそられる筆者は、この二人のぶつかり合いがたまらなく好きです。

これは許しの物語

さて、一番オススメしたいシーンが3章でしたので、最後に4章にも軽く触れていきましょう。こちらでは一転して、物語の中心にはサオリに加えて聖園ミカが据えられています。

劇中でも語られるのですが、彼女たちは非常に似た者同士なんですよね。心の奥底では幸福を切に望んでいることも、それが手に入らないのは自分のせいだと考えていることも、それでも「あなた達」を許したら自分が何者でもなくなってしまうゆえに一連の行動を取ってしまうことも、すべて二人に共通しています。しかし、サオリやミカが取る行動には、彼女たちが置かれた境遇から来る感情や、悪い大人の介入も含めて、彼女たちなりの理由があります。

確かに、サオリやミカはトリニティを揺るがすほどのことをしでかしてしまった「不良生徒」ではあるけれど、子どもである彼女たちには「次の機会」があります。先生の言葉を借りるならば、「一度や二度の失敗で道が閉ざされるなんてことはない」のです。未来があること自体が、子どものあるべき姿。もしそれが叶わないなら、大人がチャンスを作る。それはすなわち「許し」と言って差し支えないと思うんですね。このストーリーはこれでもかというくらいキリスト教的なモチーフが登場するのですが、この罪を犯した存在が許しを得ていく姿もまた、非常にキリスト教的です。

サオリやミカには、先生はもちろんのこと、他の生徒からも許しがもたらされます。そしてゆくゆくは、最も大切な「自らへの許し」を与えていくのでしょう。それは、公平に不幸であるよりもずっと良い結末ではないかと思うのです。

と、今回はサオリたちを中心に語ってきましたが、「エデン条約編」はここでは一言も触れていないキャラクターにも見せ場が多々あるストーリーです。かなりのボリュームではありますが、気づけば一気に読み込んでしまうはず。ぜひ、彼女たちの行く末を目の当たりにしてみてください。

ブルーアーカイブ -Blue Archive-

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  • 配信日:2021年2月4日
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